メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

Jii−Jiiの日記

「ザ・ラストバンカー」西川善文回顧録・講談社を読んで 

2011年11月02日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

1938(昭和13年)奈良県橿原市に5人姉弟の長男として、西川善文氏は生まれ、育ちました。大阪大学法学部を卒業し、その当時はやった「青田刈り」にあって、10月1日の解禁日を待たずに、「住友銀行」に内定が決まりました。(新聞記者になる事を断念する。)10月1日に、後に「住友の天皇」「磯田一郎」氏(人事部長)「住銀の法王」堀田庄三頭取等の役員面接があり出会い、住友銀行は大阪に本社をおく、松下電器(パナソニック)松下幸之助氏、三洋電機 井植歳男氏、武田薬品 武田長兵衛氏等々の創業者の方々との取引が多かったようです。新入行員は「大正区支店」で、当時の貸付金利は、公定歩合に連動した水準で、長期プライムレート8%で、低利の預金を真剣に集めて、貸し出しを行っていましたので、自転車で預金集めに懸命でした。(預金集めは苦手のようです。)優秀な人材を輩出した「調査部」に転勤し、部下の教育は「徒弟制度」が採用されていました。(西川氏の銀行員の起点)私事になりますが、ボクの義父が、「北九州支店」から「本店経理部」に異動した時、「負うた子より、抱いた子」で、本部への異動を喜んでくれました。(ボクは第二地銀)調査部時代に後に頭取になられた巽外夫氏に出会い、その下で「審査」「M&A」等々勉強をする。ボクの友達で、優秀な友達の一人に安宅産業に、大学の優秀な同窓生に伊藤忠商事に勤めたものがいましたが、西川氏が安宅産業を伊藤忠商事に吸収合併する西川氏の「苦労話」の中にいたに違いないと思います。安宅産業から伊藤忠商事に異動した(安宅産業でクビとならなかった!)友人の苦労話は聞いていませんが、最後は関連会社の役員に出向し本社に戻らず退職しました。第二章宿命の安宅産業・第三章磯田一郎の時代・第四章不良債権と寝た男まで読んで、「西川善文」氏の偉大さを感じながら、ボクなりに、懐かしい良き時代を思い出しながら読み進んでおります。...

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ