筆さんぽ

桜に何を見ているのか 

2024年04月07日 ナビトモブログ記事
テーマ:筆さんぽ

花曇りを濃厚に染めたような空であったが
歩いても行ける、T大学キャンパスの
満開の桜を愛でに行った。
空と桜のコントラストもぼんやりとして、気持もいまひとつ盛り上がらなかった。

なぜ日本人は桜が好きなのか。
よくいわれることに、こんなことがある。
たとえば散り際に儚さやもの悲しさを感じるからとか、
桜が散るような移ろいゆく季節や
人の心の無常感は日本人特有の美徳感からきている。

また、美しい花を一斉に咲かせる「生命の息吹」と、あっという間に散ってしまう「儚さ」を併せ持っているため、桜は日本人から愛されている。

さらには、短期に咲いて汚れないうちに散るという感覚が、「水に流す」ことを是とする日本人の感覚に合うのではないか。
などなど、これに角度を変えた見方を含めて、おおまかこれに包含できるであろう。

だが、ぼくは、咲きこぼれる桜を見ながら、
それだけではないだろうと、考えた。
話をこねくり回さずに言おう。
わかりやすいことばが見つからないが

花見を「変革的行為」と考えたい。
ちょっとむずかしい
つまり、「変えて新しいものにすること」
あるいは「また、変わって新しいものになること」である。

桜を見ていると、自分のどこかが「動かされる」のである。
歌人、俳人は、歌に、句に詠み
画家はキャンバスに心を彩色する

芭蕉のように「さまざまのこと思ひだす」方もいるだろう。
また「ねがはくは花のもとにて春死なむ」と、出家の身として、とりわけその日に死にたいという、西行のように願う方もいる。
「逝く空に桜の花があればよし」と辞世の句を詠む三波春夫のような方もいる。

これらはこれで、よくわかる。
ぼくは、桜を「変革のエンブレム」としたい。
桜を見て生まれ変わる。
生き死には別にして
心も新年度になる。

表現がむずかしい。
ようは、年を重ねても、人を好きになれるような気がするのである。

もう少し生きよう桜が美しい   青木敏子



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