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平成の虚無僧一路の日記

天海(てんかい) 

2011年12月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し




「桜」さんからコメントいただいた。ワァ〜イ

「大変興味深い記事ばかりで、夢中で拝読しております。
 天海僧正は明智光秀だったという噂もございますね」。

と、ありがとうございます。「歴史の話になると、
チンプンカンプンで 読まない」という方も居られ、
しょげていましたので、ルンルン。

しかも「天海」の名をご存知とは、“歴女”ですね。
大抵の方は、女優の「天海(あまみ)祐希」かと思うので
ございましょうね。ザンネンでした。江戸時代の怪僧
「天海(てんかい)僧正」です。

春日局とともに家康を支えた蔭のブレーンと言われる「天海」。
彼もまた、どのような経緯で家康に近づき、重用されるに
至ったのか、全く謎の人物です。

そこで、江戸時代から、前身は「明智光秀」ではないかとも
噂されていたようです。その理由は、家康を「二荒山」に
祀ることを強力に推し進めたのが「天海」ですし、「二荒」を
「日光」と改め、「明智平」との地名をつけたのも「天海」
でした。「日光」は「「明智日向守光秀」の名を留めたと。

さて、この「天海」の出自が、これまた諸説あるのですが、
なんと、ここでまた「会津」説が登場します。今年の夏、
行ってきました。会津高田町に「天海の父母の墓」という
のが有り、碑が立っていました。

「天海=光秀」説は、年齢的に2〜30歳合わないので、
無理があります。家光の弟「保科正之」が会津に移封された
ことに天海が関わっていたか、調べてみようと思っています。
思わぬ「展開」が見つかるといいですな。

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