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タイトル 不遇の山々
投稿者 mutugorohjp 投稿日 2022/07/19 13:28:45
不遇の山々
説明 近年安曇野の古民家(豪農)から一枚の絵図が見つかりました、建物は慶安前後で古文書類は文化13年(1816)ごろの
検地帳と検地絵図です。山屋にとって興味深いのは検地図の後方に描かれている山々です。当時は山には名前がつけられてなくその山域の称呼名のようでした。

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mutugorohjpさん

近年安曇野の古民家(豪農)から一枚の絵図が見つかりました、建物は慶安前後で古文書類は文化13年(1816)ごろの
検地帳と検地絵図です。山屋にとって興味深いのは検地図の後方に描かれえいる山々です。当時は山には名前がつけられていなかったようです。この絵図には蓮華岳(現白馬岳山域)槍ヶ岳、常念岳、蝶が岳、保高岳(現穂高岳一帯)の4山がでています。山を言うより山域を言ってるようでもあります。昭和にはいってどの山か確定作業に迷うなかで別な名がついたり隣の山にいったり混乱しました。名前がつけられない不遇の山々がつぎつぎと自分の名前がついていきました。村という区域はなく組単位に御手代が選ばれ治水、検地、木材を管理してほぼ毎日のように上藩である松本に報告と通達をしていたことがこのっています。
(注)穂高岳となったのはずっとあとの明治中期になってからです。上念方向から見て今の前穂高岳
が穂高と呼ばれていたころもあったようです。

2022/07/19 13:30:30


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