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タイトル 根来寺
投稿者 on 投稿日 2024/04/08 08:23:51
根来寺
説明 桜満開の根来寺。
人も車もいっぱい。
500年ほど前の繁栄を示すかのごとき根来寺。
花の影に見えるは「根来の子守歌」の悲しい調べ。
秀吉の根来攻めで全山焼き討ち皆殺しの悲しい歴史がよみがえる。

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コメント

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楪さん

値来(ねごろ)って読めない方も多いでしょうね。
根来衆(僧兵)が秀吉によって滅ぼされた歴史を思い出しました。
お寺は無事だったのですか?
渋い塔の佇まいと、桜の花のコントラストが美しいですね。

2024/04/08 08:37:15

onさん

楪さん

根来寺は戦国時代
大名をもしのぐ強大な勢力を保っていました。
越前一乗谷に似た地形の中に当時は400を超える僧院が建ち並ぶ一大宗教都市でした。
山を開いた覚鑁上人は真言宗中興の祖ともいわれていましたが
高野山を追われることになり根来の地に新義真言宗の本山根来寺を開きました。
根来寺の寺領は紀州のみならず和泉の国、河内の国、大和の国にもありました。
今も多く残る根来姓の人たちはその末裔だと言われています。

根来は秀吉の紀州攻めの際に全山焼き尽くされ、皆殺しにされたと伝えられています。
焼け残った大塔(国宝)には当時攻めた秀吉軍の鉄砲弾痕がいまも残されています。
雑賀党を攻めた太田城の水攻めは秀吉の三大水責めの1つとしても有名です。

余談ですが根来の地に定着した職人たちの手による根来塗はその後全国に広がり漆塗りのもとになったと言われています。

2024/04/08 09:06:00


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