メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

人生いろは坂

原発の是非を考える 

2012年02月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 原発廃棄論が高まる中、もう一度、原発の何たるかを考えてみたい。被爆国日本では核に対する
関心は高い。そして4回も核の洗礼を受けている。一度は広島、二度目は長崎、そして三度目は
ビキニ環礁近くで操業中のマグロ漁船が死の灰(放射性物質を含むチリ)を被爆、そして今回の
福島第一原子力発電所の爆発による被爆である。

 こんな国は他にない。それにも関わらず原子力を止めてしまおうという議論にはなかなかならない
のは何故か。そして一方、原発は何が何でも反対だという人も多い。

 しかし、圧倒的な人は何の意思表示もしていない。それは原発が何であるかを知らない人が多すぎる
からではないだろうか。原発のことは難しすぎて分からないと思い込んでいるからではないだろうか。
もっと原子力や核のことを知れば是非の判断もしやすいのではないだろうか。

 国民的な議論にならず、あたら感情論だけが先行しているような気がしてならない。もっと冷静に
原発の是非を議論してみたい。

 国民に情報らしい情報も与えず原子力行政は進められてきた。そうしてきたのは時の政府や自民党、
ひいては学会やマスコミである。まるで原子力を語ることはタブーのように議論に蓋をしてきた。

 原発を受け入れた地域住民の中で原発についてどれほどのことが理解されていただろう。地域の
活性化だとか、過疎化対策だとか、仕事が増えるからだとか、おおよそ原発とはかけ離れた思いの
中で受け入れて来た。

 そして金がばらまかれたり反対派の切り崩しなど、おおよそ核の議論とはかけ離れたところで原発
行政は半ば強引に押し進められてきた。その結果が今日を招いている。

 原発問題はさして難しい問題ではない。核そのものを語るとすればそれなりの知識は必要であるが、
原子力発電の仕組みは実に簡単である。要は発電のための熱源を何に求めるかの違いによる。

 石炭や石油やガスなど化石燃料を用いるか、核分裂による核物質の崩壊の際に出てくる熱を利用する
かの違いである。一方は化学反応による熱であり、一方は核分裂による熱である。両反応は次元の
異なる世界の話であるが、熱源という点では全く違わない。

 しかし核は非常に扱いにくい物質である。そして核分裂は制御しにくい。だから火力発電所のように
簡単には停止できないし、出力を制御することも難しい。勢い一定出力を維持しつつ、火力発電所などで
需要に応じた制御をしている。余った電気は揚水式の発電所で水を汲み上げてダムに貯えている。

 今回の事故でも明らかになったように原発にとって水が命である。冷却が効かなくなった原発は
暴走する。自ら発する熱を何かによって取り除かなければならない。そのために非常用の発電機などを
設置し冷却水の循環ポンプを回すようにしている。

 福島第一原発はそれが出来なかった。第二原発はかろうじて非常用発電機が機能した。それは単純に
言えば運命が両者を分けたと言うより設備の違いという単純な問題である。投資を惜しまず二重三重の
安全対策さえしていれば事故は防ぐことが出来た。

 原発の機能劣化や原発の廃棄、使用済みの核燃料をどうするかは別問題である。これはこれで大きな
問題だが一緒に議論をすると難しいことになる。

 今日を招いたのは臭いものには蓋をしろという日本人らしいごまかしによるものである。もっと情報
を一般公開し、理解できない人には出来るだけ理解できるように説明する。その上で何を選択するかの
討論を闘わせたい。必要なら投資を惜しまず必要な安全対策を行いたい。

 デリケートな問題だからと言うだけで情報を公にしてこなかった政府自民党や関係機関、学会や
マスコミにその責任を問いたい。そして改めて国民的な議論の中で今後の在り方を選択したい。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ