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人生音痴 

2012年04月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

いつの間にか高齢者と呼ばれる年になったが、幸いに健康に何の問題もなく、大自然の中で楽しい仲間達と働いている。小さいながらも事業をしていたときは、「働く」と言うより、一つひとつ新しいモノを作り出していくという喜びもあったが、利益を生み出していかねばならないため、多くのストレスを感じて、肉体労働とは違う体力の消耗を経験したものだ。しかし、今は経営ということに関しては、あまり深く立ち入ることはなく、どのような作業でも、その一瞬を大切に責任を果たせばいい。時には顧客との触れ合いもある。仲間との人間関係の良好を保つことを考えながら行動することくらいはたやすいことである。
 
若い頃は意欲があった。体力もあった。体力があったので意欲も湧いたのだろう。あれもしたい、これもしたいと、次々に湧き出る構想を実現しようとがむしゃらに突き進んだものだ。しかし、高齢者と呼ばれる年になると、その長年の経験からちょっとした悟りのようなものが身についてくる。それは、一つには体力の衰えがそうさせるのかも知れないが、何事にも無理をしなくなる。
 
ここから話しはとんでもない方向へ飛んでいく。話しがとんでもないところへ飛んでいくのは宇宙人の得意技だが、私もさすが?宇宙人の亭主である。
 
以下は、漫画家、黒鉄ヒロシさんの話し。
「知らなくてサインしましたでは通らないので辞めざるを得ないが、本人は何とかなると希望的観測を持っているのだろう。自分の将来がまったく見えていない『人生音痴』と呼びたい。仮にも国交省の頂点にあり、部下を守るリーダーであるべきなのに自己犠牲の精神はゼロで、自分だけ助かろうと保身に走る最も政治家になってはいけないタイプの人間だ。これを認めるようでは危機管理はめちゃくちゃになる。政治家の劣化もここまで来たかと情けないを通り越してあきれてしまう」
 
『人生音痴』とは、うまい表現があったものだと感心するが、ヘンな奴にも、いいのと悪いのがある。どうせ言われるのなら、いい意味での『人生音痴』と呼ばれたいが、あきれられるほどにはなりたくないものだ。
 
 

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