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立花家史料館 

2012年05月02日 外部ブログ記事
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柳川に行く途中で見た神社

 
狛犬


 
 
                       拝殿横の狛犬

  
目が大きく面白い顔です。 
 
 
 
拝殿横ではもったいない。
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
柳川へ到着

西洋館

 
立花家史料館
特集展示「立花家の刀剣ーよくわかる刀剣の見方ー」
立花家に伝来した刀剣と、鐔、小柄、笄などの刀装具が紹介されています
 
  
純姫の婚礼調度
弘化四年(1847)に十三代藩主立花鑑寛へ嫁いできた、御三卿の一つ田安徳川斉匡の娘で純姫の婚礼調度と考えられています。

 



  有職雛
人形の衣装そのものも、有職故実に即して忠実に再現しています


 

雛調度

 
 
 
  
 
 
                ミニお雛様

賀茂人形

 
   肖像画                                   
                立花宗茂                                 
  
立花道雪

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
        



 
 
 特集展示「立花家の刀剣」
   国宝    短刀 銘 吉光
 
鎌倉時代の京都粟田口派の名工、藤四郎吉光作の短刀です。
吉光は特に短刀や剣の作刀に優れた手腕を示した刀工として知られ江戸時代には正宗、江ノ義弘とともに「三作」と呼ばれ大いに珍重されました。
本作は吉光の短刀の中でも特に身幅が広く包丁の形に近い短刀です。表に「吉光」の銘が見えますが、その銘振り、姿ともに藤四郎吉光の一作風をあらわした典型となっています。
本作の伝来は明らかではありませんが、伝承によれば、立花家の先祖が戦功の褒賞として、足利尊氏より賜ったものとされています。この吉光の短刀は、源氏の白旗、血染めの鉄扇とともに立花家三種の神器とされており、立花氏代々の什宝として伝えられてきました
 





 
 
  脇差 無銘 雷切丸
雷切丸の名の由来は道雪が大木の下に作った御座所で昼寝をしていたところ雷が落ちてきました。鑑連(道雪)は枕元に立てていた太刀「千鳥」を抜いて素早く御座所を立ち退きました。
道雪は所持していた刀千鳥でその雷(雷神)を切ったとされています。
実際に切ったかどうかははっきりしてませんが、道雪は雷に打たれ半身不随になりながらも生きていたため、人々は道雪が雷を切った、
雷神を斬ったなどと噂したという。
 
その後、足が痛みだし出陣するにも輿を使用するほどであったが、
御勇刀を佩いてたので並の武者よりも活躍しました。
よってこの勇刀を「千鳥」から「雷切」と改号しました。



切っ先
 峰の部分が雷の痕か白く変色しているようにも見えました。           


まだまだ刀剣の展示が有りましたが、代表的な物二点をあげました。
      
立花宗茂の甲冑
 



 



歴代の甲冑

 
火縄銃 墨縄(すみなわ) レプリカ
火縄銃墨縄は立花宗茂の所用として伝わっていますが、次のような逸話が残されています。
碧蹄館の戦いのあと、浮田秀家の戦勝の宴の席で黒田長政と立花宗茂との間で鉄砲と弓の
優劣論がおこります。                                               
 
長政は銃の利点を挙げて弓の全廃を主張しますが、宗茂は弓と鉄砲それぞれに長所と短所があると反論し、各々の武器を用いて実地に優劣を競い、勝者が敗者の武器を取り上げるということになりました。                                                   
笄を標的として長政が銃、宗茂が弓でそれぞれの技を競い、宗茂が勝利したため長政からこの銃を贈られたということです。                                          




 
今回も堪能出来ました。
この後は太宰府に戻ります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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