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平成の虚無僧一路の日記

「五柳先生=陶淵明」 

2012年05月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



私の先祖に「牧原半陶」という儒学者がいる。
「陶淵明に憧れ、陶淵明の半分にでも達することが
できたらと“半陶”とつけた」という。名は「直亮」。
陶淵明の字(あざな)も「元亮」だ。

先祖が憧れた「陶淵明」について 知らねば なるめい。

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「陶 淵明(とう えんめい)」は、西暦 365年 - 427年、
中国魏晋南北朝時代の詩人。自伝的作品の「五柳先生伝」
から「五柳先生」とも呼ばれる。潯陽柴桑(現江西省
九江市)の人。郷里の田園に隠遁後、自ら農作業に従事
しつつ、日常生活に即した詩文を多く残し、「隠逸詩人」
「田園詩人」と呼ばれる。
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西暦400年前後というと、日本ではまだ 文字も無い。
卑弥呼の時代だ。49歳で官を辞し野に下った時の詩が
「帰去来の辞」。そして理想郷を詠じた「桃花源記」は
「桃源郷」の語源となった。

「五柳先生伝」の冒頭「先生は、どこの人か分からない。
姓や字もさだかではない」は、夏目漱石の『吾輩は猫で
ある』に、続く「家の傍に五本の柳の木があった。そのため、
五柳を号とした」は「中江藤樹」に影響を与えている。

「先生は、ものしずかで、言葉数も少なく、名誉や利益を
ほしがらなかった。(中略) 粗末な木綿の粗布の衣服、
ツギだらけの着物。飲食物の容器が、しばしば空っぽに
なることもあったが、心は安らかで落ち着いていた。
少しだけ自分自身のこころざしを持ち、損得を考えな
かった」

そのような隠者の生き方が、すでに1600年昔、日本では
卑弥呼の時代にあり、江戸時代の儒者に影響を与えた。

「陶淵明」の肖像画には「無絃琴」が描かれている。
わが祖「牧原半陶」も「琴」をよくした。その「琴」は
現在の「箏」ではなく、埴輪にあるような「柱(じ)」の
無い7絃の琴である。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください

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