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平成の虚無僧一路の日記

水力も火力も原発も反対の中で 

2012年05月06日 外部ブログ記事
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福島に原発を誘致し、推進してきたのは、東電の社長
「木川田一隆」氏が福島県出身だったことによる。

相当の金が福島に落ち、さまざまな利権に 人が
群がった。当時の県知事「木村守江」氏は 4期目の
1951年 収賄容疑で逮捕。

次に県知事になったのが、会津の殿様「松平勇雄」氏。
福島県立図書館や福島県立美術館、福島県立博物館などの
箱物を建設し、「文化の知事」と賞賛された。

1988年「松平勇雄」氏の後、知事となったのが
「佐藤栄佐久」氏。(佐藤栄作元総理とは別)。
「佐藤栄佐久」氏は、福島原発のプルサーマルに
反対したため?、弟の収賄容疑に関連して辞職に
追い込まれた。はめられたとも。

その後任が、民主党のご意見番「渡辺恒三」氏の甥
「佐藤雄平」氏。「渡部恒三」は「原発を作って
県民は長生き」と発言したことがある。「補助金が
ないと駄目な 農業だけの福島」と言うのが真意だ。

私の父も、福島県出身で東電に勤務していた。社長が
同郷の「木川田一隆」だったことで、水力発電所、
火力発電所を歴任し、本店勤務が長かったが、
最後は 故郷の会津に錦を飾り、良き時代に 東電
勤務を終えた。

その後の職場は、東電の子会社「尾瀬林業」。
東電は 会津の奥地「尾瀬沼」の大半を所有し、
その電源開発を行おうしたが、環境破壊反対運動に
遭って断念し、自然保護の維持管理を行っていた。
毎年相当の出費で、今、経営を圧迫している。

木村守江も木川田一隆も父も、皆鬼籍にはいった。
水力も火力も原発も“ダメダメダメ”の反対運動に
さらされてきた東電の行く末を あの世から、
どのような思いで見ていることか。

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