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七輪の前の神様ごと 

2010年06月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

<div>妻は猟師である。</div>
<div> </div>
<div>言い間違いではない。<br>
理容師でも、上司でもない。<br>
猟師である。</div>
<div> </div>
<div>毎年、冬になると猟銃を担いで山には入り、鹿や猪や熊を撃ち、時に数時間かけて現場から引き出し、解体し、肉にする。<br>
誤解なきよう申し上げておくが、妻は女性だ。<br>
20代から始めた彼女の狩猟歴は十年を超え、結婚するときには既に狩猟免許を持っていた。「結婚は命がけだ」と誰かが言っていたが、彼女が自分の部屋で猟銃の手入れをしている様子を戸の隙間から初めてそっと覗き見たとき、「たしかにその通りだ」と思った。</div>
<div> </div>
<div>先日、二人揃って炭山(僕が炭を焼いている山)へ出かけた。<br>
彼女の肩には、鈍い光を放つ、手入れの行き届いたあの道具が架かっている。<br>
「今日は鳥を狙うから」<br>
自分が人間でよかった、と心から思った。<br>
彼女はわが家の猟犬─紀州犬の「銀」と甲斐犬の「小次郎」─を二頭引き連れ、機敏な動きであっという間に山の奥へと消えた。僕は作業着のポケットから出した軍手をのろのろとはめて、竹菷を手に窯庭(炭窯の前の平らな場所)を掃きはじめた。<br>
窯庭の掃除が終わろうかというとき、「パーン!」という乾いた音が谷あいに谺した。しばらくして戻ってきた彼女は、「ちょっと、これ持ってて」と僕の手の平の上に何かを乗せ、再び山奥へと消えた。その早さと勢いに半ば圧倒されながら改めて手のひらに目をやると、それは文鳥ほどの大きさの小鳥だった。その瞼は既に固く閉じられ、小さな体は萎縮したように硬直していた。<br>
“死んでいる”─そう実感したとき、手袋のまま小鳥を扱うことに違和感を覚えて(失礼なきがして)、僕は軍手を外し、再びその小鳥をそっと手の中に入れた。<br>
「あっ・・・・・・」瞬間、複雑な感情に襲われた。<br>
まだ、温かいのだ。</div>
<div> </div>
<div>手の平に収まるほど小さな命のぬくもりは、同心円状に広がって、あっという間に僕の全身を包みこんだ。<br>
命のともしびは既に消えているはずなのに、たしかに温かい─その矛盾に、僕は当惑した。<br>
しかし、改めてその温もりを実感した刹那、抑えがたい愛おしさが湧き上がり、頭では「もう死んでいるのだ」と分かっていながら、僕は小鳥を両手でそっと抱きしめずにいられなかった。</div>
<div> </div>
<div>妻はいつも言う。「動物の命を殺める猟が楽しいわけがない」と。「猟を趣味だと思ってほしくない」とも。<br>
ならば、なぜつづけるのか。<br>
それは、この時代に《ほんとうの命の重さ》を実感し、それを伝えることができる稀有な存在が猟師だと考えているからだ。<br>
元来、「マタギ」と呼ばれる日本の伝統的猟師は、獲れた獲物を「山の神さまからの授かりもの」と捉え、その肉や毛皮のみならず、骨の一本に至るまで無駄にせずに利用しつくした。そして、授かった命に対する感謝と供養をぜったいに忘れなかった。<br>
それが命と向き合う者の当然の姿勢であり、礼儀だった。</div>
<div> </div>
<div>野生動物を殺すのはかわいそう、熊をハンターから守れ・・・・。そのような声を耳にすることがある。野生動物を殺すのはたしかにかわいそうなことだ。僕もそう思う。ならば、飼育動物を殺すことは?<br>
熊や鹿や猪や野鳥を殺すのはかわいそうなことで、豚舎や牛舎や養鶏所にいる豚や牛や鶏を殺すのはかわいそうなことではない─まさかそんなはずはないだろう。<br>
「かわいそう」という基準で考えるなら、大自然の中で伸び伸びと生きてきて何百、何千分の一の確率で猟師に仕留められる野生動物と、人間に食べられるためだけに餌を与えられ、狭い空間に閉じこめられて、100パーセント屠殺されるだけの時間を待つだけの飼育動物と、ほんとうにかわいそうなのはどちらだろう。</div>
<div> </div>
<div>炭に焼く原木を伐る度に思う。伐っている時に出るおが屑が、もし血しぶきだったら─と。木を伐っても、山菜や野菜を切っても、叫び声や血しぶきが上がることはない。しかし、それを伐った(切った)とき、たしかにその命を奪っているという事実は、動物でも植物(樹木や野菜)でも変わらない。ベジタリアンでさえ、殺生の上に成り立っているのだ。人として生を受けた以上、どのような形であれ他の命を奪わずに生きていくことは出来ない。それが人間の業であり宿命であるとしたら、いただいた命に対して「深く感謝してそれを活かしきる」しかない─と僕は思っている。<br>
今まで15年間、何千本と木を伐ってきた。炭の原木になる広葉樹は切り株から芽を出して再生するとは言え、それでも立木(立っている木)に刃を当てるときは毎回心が痛む。だから、伐る前には必ず心の中で「伐らせていただきます。無駄なく使わせていただきます」と祈り、頭を下げる。<br>
山の神さまから妻が授かるのが野生動物の命ならば、僕が授かるのは炭の原木という名の木々の命。二人とも、山の命をいただいて生かされているから、山の神さまに対する感謝と畏敬の念を忘れない。</div>
<div> </div>
<div>たしかに今の時代、わざわざ山に入って野生動物を殺さなくても、誰も食べるものには困らないし、わざわざ木を伐って炭を焼かなくても、誰も燃料には困らない。でも、その「困らない」ことこそが、ほんとうはとても「恐ろしいこと」だということに気づいている人は、ほとんどいない。<br>
人が生きていく上で忘れてはならない「他の命をいただいて生かされている」という事実を、実感として体に刻みつづけ、それを伝える者が絶えてしまったとき、自然に対する人間の傲慢さへの歯止めをいったい誰がかけるのか。</div>
<div> </div>
<div>昔の人は「山のことは猟師に聞け」「山のことは炭焼きに聞け」と言った。山に対する知恵と知識と経験を最も豊に持っていたのが、猟師と炭焼きだった。<br>
《自然との共生》という言葉を耳にするようになって久しいが、IT全盛の今の日本に、ほんとうの意味で自然と共に生きる知恵を持っている人間はいったいどれだけいるだろう。日本人にとって《自然》とほぼ同義である《森=山》から猟師と炭焼きがいなくなったとき、日本人は自然と共生する最後の知恵を失うだろう。それは同時に、日本人が日本人でなくなることを意味する。なぜなら、日本文化は、豊かな森の知恵に支えられた《木の文化》をその源泉としているからだ。</div>
<div> </div>
<div>IT技術がどれほど発達しようとも、人間が生身で生きているという事実は、二百万年前も今もまったく変わらない。日本人が自然から大きく離れつつある時代だからこそ、猟師と炭焼きには「リアルな命の実感」と「共生の知恵」と「自然に対する感謝と畏敬」を伝えつづける役割があると僕は信じている。<br>
それが、“山に生かされている”自分たちの、山の神さまへの恩返しであるとも─。</div>
<div> </div>
<div>本日の授かり物。小鳥一羽。<br>
山を下るとき、山の神さまを祀ってある場所で二人一緒に手を合わせ、頭を下げる。軽トラに乗り込む前に、彼女は丁寧に羽毛を抜き、ナイフで内蔵を出すひとつひとつ説明しながら見せてくれた。「これが肝臓、こっちが心臓・・」。<br>
どれも豆粒よりも小さかったけれど、それがさっきまで自分の手の中でぬくもりの余韻を残していたあの命の分身だと思うと、自ずと背筋がシャンとした。</div>
<div> </div>
<div>家に帰ると炭を熾し、七輪の網の上に、“授かりもの”を乗せた。<br>
カミさんが獲った鳥を、ダンナが焼いた炭で焼く─『日本昔話』みたいだ。<br>
ほどなくそれはいい塩梅にこんがりと焼けて、香ばしい薫りを放ち始めた。<br>
僕はカミさんに感謝を伝え、目の前の授かりものに手を合わせて「いただきます」と頭を下げると、ゆっくりとそれを口に運んだ。<br>
─今、口の中にあるのはたしかに、さっき両手で抱きしめて愛おしんだ、あの命。今度は口の中で抱きしめるように、僕は目を閉じて何度も何度もその命を噛みしめた。自然と心の奥底から感謝の念が湧き上がってきて、気がついたら「ありがとうございます」と心の中で唱えながら噛みしめていた。</div>
<div> </div>
<div>今日一日の自分の命をつなぐために山の神さまからいただいた、小さな命。</div>
<div> </div>
<div>七輪の炭火を見ながら、僕は、食事が《神事》に変わっていくのを感じた。</div>
<div><br>
文・原 伸介(はら しんすけ)<br>
昭和47年、横浜生まれ、横須賀育ち。<br>
信州大学農学部森林科学科卒。<br>
平成7年、22歳の時に出会った炭焼きの師の生き様に一目惚れして弟子入りし、一年間の修業の後、独立。<br>
現在、原木の伐採から搬出、炭焼きまでをすべて独りで行う傍ら、職人・一次産業の魅力を若者に伝える活動に命を燃やしている。<br>
著書に『山の神さまに喚ばれて』(フーガブックス)<br>
『笑顔は無限力』(文屋文庫)<br>
『生き方は山が教えてくれました』(かんき出版)<br>
松本市在住。</div>
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