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久しぶり 

2012年10月14日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

二十才若かった頃に話しを戻します

丁度20年前の春1998年四人の韓国人が
研修生として富山県八尾町に赴任してきた。

半導体装置の内容を覚える為であり三ヶ月間の
期日でした、彼らは始めての来日で日本に来る前
幾らかの語学を勉強はしてある物の矢張り思う様に
話が繋がらない。

自分はその会社の社員ではない、有る会社からの
作業応援の一人として寮生活で過ごしていた、其処に
韓国人も入ってきた。中の一人は全く言葉が通じずで
此処に居る事態問題が有りそうな人でした。


彼らは工場の各部署で教育を受け、ある日から自分の
居る職場に回って来ました。今日からここで仕事を
学びますと主任から話しが有り仲間として過ごす。

この時から彼らとの接触が始まり意気の合った二人が
何かと質問してくる、良い感触だ仕事もうまくいきそう
だけど此処の社員では無い。

寮には食堂が無い三食会社で取らなければ成らない
韓国の味付けでは無い食事に困っていたようだが
食べるものは限られたメニューなので我慢してもらう。

自分はホテルに有るような小型冷蔵庫を持参し簡単な
食材をストック電熱コンロで食べ物を作り食堂の休みには自炊で凌いだ。

今回再会した彼の名はホンさん47才である、会った当時は兵役を終えての就職でした。四人全員兵役を終えたわけでは無かった、一人がまだ徴集されておらずの若い社員が入っていた。

仕事の終わった彼らは夜になると缶ビールと焼酎で
時を過ごすのが日課となり一部屋に集まっては毎晩
宴会状態でした、部屋は当然一人部屋では在るが
四人の内先輩の部屋で酒を肴にし仕事の事社内での
話等語らっていた様だ。

職場が一緒で在って次第に声を掛ける又話しをしてくる
こんな風に次第に接近し始め今度は自分の部屋で
寛ぐかと成った、お互い飲み物とノートそれに日本語の
辞書も持参してくる。

家庭の話から人生論まで毎晩続けた、時にはアルコール無しで勉強会を開く事も有りました。

休日は月一で自分は里帰りするが彼らが来てからは
里帰りは止め彼らと過ごす事にし車で出かけたりで
富山市の繁華街に連れ出す、食事の不満を韓国料理店
にも案内し地元の感触とまでは行かずともそれなりの
味を感じてもらった。

スーパーに立ち寄りキムチを買い込み会社での食事中に
食べるのだと多めの買い物でした。夜の宴会にも当然
一品料理として出される。

部屋はいつの間にかキムチの部屋に変化し閉め切った
部屋には出来なくいつも臭う、会社側から宴会は部屋ではするなと注告、仕方なくホールでやることに決まった
その時会社が用意した冷蔵庫が言うまでもなくキムチで
一杯状態と缶ビールが仲間入りでした。

この様な12年前の生活が在ってホンさんが年数回
電話が入る自分も電話したいが、国際電話となると
話が長くなり一通話5000円を超えてしまう、彼が
よこす分にはそんなにも掛からないと言ってた、
ならば甘えるか。


現実の昨日東京駅で待ち合わせになり
朝早く飛行機での来日疲れは在るはずだが行きたい場所
を訪ねても何処でもいい、そこで上野駅に向かいそして
地下鉄で浅草浅草寺とスカイツリーに案内する事にした。彼は旅行カバンを持っているかなりの歩きになりそうなのでスカイツリーは隅田川からとし川岸で暫く
タワーを眺めた。

浅草寺はいつもの賑わい歩くのが結構面倒の様だゴロゴロを転がしながら人をかき分けるのだから気の毒では在る。

東京に来る前に電話でもう一人の仕事仲間とも会う約束が出来ていた、その相手は所沢に居て夕方から新宿で
再会のささやかな宴を段取りしている。

その時間までおいらに時間潰してくれと電話が
ホンさんを町歩きに誘い待ち合わせの時間まで
浅草仲店などを見せてまわる。

再び地下鉄に乗り新宿へと向かう、陽は落ちネオンに
照らされた繁華街に進む所沢の彼は店前で待っていた
自分も面識がある、彼とはもっと前で顔を合わせているがお互い白髪が増えたし様相も変わった。

宴会は5人で始まった其処に飛び入りの一人が女子で
有った、全くの面識は無い女性飲み友達で意気投合で
知り合っただけの人。こんな人も居たのかでした。


二時間は過ぎた話は昔の事だらけで進行し話は尽きないが一升瓶のいいちこが底を突いた、ならばお開きと言うことに宴は終了し各自自宅へとホンさんは所沢に一泊する、後の予定は電話にて連絡と成って別れた。

彼は15日昼に本国に帰るのだ其れまではおいらが
案内役だが14日の今日は未だ連絡無し。



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日韓友好の輪

プラチナさん

企業の研修などで、多くの韓国人が来日し、仕事を通じて交流を深め、仲間となり、その後も親交を続けている人達が多くいるものと思われる。
この様に、互いの国の良し悪しを、理解し合う人達が増えれば、政治的な竹島の問題など、島の領有の決着を急ぐより、互いに有効利用が出来るよう、知恵を出し合えるのでは無いかと思う。
政治的・商業的でない、日韓友好の輪がもっと広がれば、と願うところだ。

2012/10/14 16:43:59

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