メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

Jii−Jiiの日記

信心よろこぶ そのひとを 如来とひとしと ときたもう 

2012年10月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

10月の法語「信心よろこぶ そのひとを 如来とひとしと ときたもう」信心よろこぶそのひとを 如来とひとしとときたもう 大信心は仏性なり 仏性即ち如来なり   浄土和讃・諸経意八首このご和讃のおこころを川瀬和敬師の著書よりご紹介します。(如来の心がはじめてわれにとどいたよろこびは そこにうたがいのはいる余地もなく、この信心はもろもろの如来と等しいのだと説かれます。無?広大の信心は、悉有仏性の仏性そのものであり、その仏性はそのまま如来であって、すべての存在を真実であらしめようとするはたらきなのです)「信心よろこぶ」とは仏さまの心に触れた、つまり仏さまにであったということです。仏さまにであえたならば、もはや本当にいるとかいないとか、疑いの心が出てくることもありません。いついかなる時も「仏まします」との智慧が備わるのです。(グーグル検索)神仏に手を合わせ、特にわが家の仏壇の前や墓前で「南無阿弥陀仏」と称えると心が清められる気がします。ボクは、早くから父に死別し、転勤のため県外にいて、母の死に目に会えず「生んで、育ててくれてありがとう!」の感謝の言葉もかけられず、さぞかし母から疎まれていることだろう思います。妻が仏壇もお墓も大切にお守りしてくれて、親孝行の一つとなっている事は「母がボクの嫁を誉れとしている事」です。...

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ