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2012年11月19日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

いきなりの料理の話にしてしまうが

独身時代始めは自炊出来る環境の部屋に
住んでは無かった

二十歳過ぎでアパートや下宿先に厄介に成るのが
当たり前の時代、アパートなら五徳丸出しのガス
コンロで煮炊きしていたはず。

それにガス湯沸かし器を流し正面に取り付け
ボタンを押して着火させそしてお湯が流れ出る。

当時としてはこれくらいが普通の流し場で
自炊する事はまれ、会社で三食食べていたのも
有って八百屋、肉やに買い物する事は滅多にない。

ましてスーパーなんて小規模の形で今の様に
何でも揃う事は無かった様に思う、自分は
先輩の入って居た下宿で数年過ごした。

大家さんは親切で日曜日の会社休みには
夕飯を家族と一緒に頂く事も有りとても気さくな
方で有り随分助けられた、朝出勤時間が過ぎて物音
しない自分の様子から身体の気使い等も他人扱いは
してながった。

台所での料理は出来ませんでしたが
お湯をやかんで沸かしたり、洗濯機の使用も許可され
不自由差は感じません出したね。


そして幾らか成長したのか下宿からの脱出を計画
アパートに引っ越す事にし当時の公団住宅の空き屋
に応募し一発で難関をクリアーし中野区から三鷹市に
転居独身タイプの1kに入居したのです。

当時の家賃2800円でした、畳三枚に板間1.5畳
ほどの狭いアパートでした。風呂トイレは共同で有り
何も問題は有りません、バス停は建家玄関から二十歩
と近い、部屋は三階でしたがバスが入ってくる音で
出勤の始まりにさせられる。


風呂は大抵管理人さんと部屋の両隣が連れ立って
一番風呂に入るのが多かった、当然入浴時間が
決まってましたが示し合わせたように風呂に入る。


団地での生活も気楽な物、初めてのスーパーマーケット
に行く、中野時代の商店とは違ってスーパーと来れば
一応の品が間に合う、お米は無かった、近くのお米や
で少量の購入で間に合わせた、最初に行った時米通帳
成る物を出してと言われたが役所から発行で後から
提出した記憶が有るなんと古い話だ。


この辺から炊事をして経費の節約も考えだし
外食を半分位に、だけど毎度のご飯作りは簡単では
無かった、隣の台所からおいしい臭いが漂い明日は
俺が作ろうと促させる。


大洋ホエルーズのピッチャーの相手でキャッチャーを
平松選手の相手もして居た様だが其れは社会人から
プロ選手に成るまえの話で有って彼はプロには
行ってない。なので平松選手と同じ会社に居て
社会人野球で活躍後プロに入ったのは平松だけ。


自分が早く帰宅すれば今日はカレーかってノック
しながら扉を開けカレーは数日持つから便利だよな〜
黄色く成らないようになっていわれたな〜。


ワンドアの冷蔵庫にこじんまりの食材けして名前の
付けられるメニューは無かった、有り余りの材料で
其れらしく仕上げ食器も飾らないご飯だった。


このような生活で乗り切り家庭を持ちたくなり
次のステップとして1DKの部屋をと考え所帯を
持つことに成った。団地生活が子供の中学卒業まで
続き家賃の安さにどっぷり浸かっての生活でした。


かみさんが現れ自炊からの解放たが仕事の出張で
又しても自炊が飛び込んでくるとは・・・・・
こんな感じで単身生活は過ぎていきました。



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単身生活

プラチナさん

若き頃の生活状況をよく覚えていますね、感心します。 
当方、住んだ場所くらいは分かりますが、当時の状況は、言われれば思い出す程度で、ほとんど覚えていませんね。
善い事も悪い事も・・。

2012/11/19 16:10:42

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