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北軽井沢 虹の街 爽やかな風

人生に引退はない 

2012年12月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

人は誰も皆、生まれてから結婚する迄は、特に両親の影響を多く受けるものだ。生まれた国、場所、親の職業、貧富の差、地理的条件による気候の違いなどで、生まれたときからいろんな面で大きな違いがあるが、生まれてきた本人は、そのようなことが理解できるわけではなく、先ずは親の教えにそって一歩一歩人生を歩むことになる。私は、結婚までを最初の人生、結婚後を第二の人生と考えた。もちろん結婚しなくても親から独立して生きていくのであるが、一般的に、人々は、結婚により親から独立するものだ。そして何らかの職業に就き、多くの場合定年退職によって引退する。
 
私の場合65歳で引退し、現在の場所で移住生活を始めた。その65歳からの人生を第三の人生と呼んでいる。私は、最初の人生が24年、第二の人生が41年となり、今は第三の人生を歩み始めて5年目となっている。会う人ごとに、またいつも口癖のように言っているが私は、「最後は緑いっぱいの自然の中で心豊かに暮らしたい」という妻にひっぱられてこの地へやってきた。
学校を卒業し、ごく普通に当たり前のように父の経営する会社に入り、その後父の跡を継いで、がむしゃらに走ってきた人生は、いろいろな事があったが、その経験が現在の自分を形成してきたと考えられる。そして65歳で仕事にピリオドを打ち引退した。
 
隣近所もなく、ただ大きな樹木が茂っているだけの森の中に投げ出されたその時の私は、様々な苦労から解放されほっとしたのだが、何もしない日が続き、ほとんど誰とも出会わない日がふつかみっかと過ぎていくうちに、美しい自然に癒されつつも呆然としたものだった。そして家の周りの整備をし、薪割りを覚え、少しずつ環境に慣れていったが、このまま何もせずにただ漠然と生活することには耐えられないという自分がいた。
 
その後、アルバイトでも何でも働いてみることにしたが、65歳という年齢では働く場所がないことに唖然とする。年齢不問と書かれていてもなかなか採用されないことを経験し、自分では何でも出来ると思っていても、採用する側から見れば、引退した爺さんに違いないのであった。
最初のアルバイトはスキーレンタルショップだったが、スキーの経験が全くない65歳は、その経営者にとって希望する人間ではない事は明らかであった。やっとのことで経営者を説得し職を得たのがきっかけで、夏はそのスキーレンタルショップの社長が営む農業の手伝い、野菜直売店での野菜販売という初めての経験が続いた。そして昨年の3月から、現在の北軽井沢スウィートグラスというオートキャンプ場で働いているが、現在までブログをきっかけに多くの知人ができ、仕事場でもよき同僚にも恵まれ、楽しい生活が続いている。
 
現在世の中で大きな話題となっているのが65歳からの生き方であるが、私は人ごとのように思っていた。生涯現役などといって頑張っている人もいるが、多くの人はある年齢が来ると引退する。私は生涯現役とは考えていない。しかし、仕事を引退して過ごす第三の人生は、また新たな一歩を踏み出す希望の船出である。私のように働くところがなくても、意欲を持って生きる道はある。趣味を生かして楽しむのも一つ。それをきっかけにして出来る新しい人間関係を楽しむこともできるはずだ。生まれ育った場所で一生を過ごさなくても、私のように移住生活で新境地を得るのも一つ。人は皆一人一人考え方が違うから面白い。ただ一つ何をして生きるにしても、人との出会いは大切にしなくてはならない。人との出会いは人生そのもの。どのような人に出会うかが人の人生を変えるといっても過言ではない。これからも人との出会いを大切にしたい。
そしてこの肉体が滅びるまで人生を楽しむつもりである。その時がまさに引退の時であって、それまでは「人生に引退はない」のだ。
 
新しい年があと一日でやってくる。迎える新しい年は私にとって記念すべき人生70年の年だ。
第三の人生が何年続くか分からないが、やることは山ほどある。それが途中で終わったとしても、私の人生には引退はない。
 
 

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