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法常寺 三原八幡宮 

2013年01月29日 外部ブログ記事
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                 法常寺
 
三原西寺町の一番西になります。
 


東日山法常寺は、正嘉二年(1258)竹原小早川の菩提所として木村城の西側高地に建てられましたが、本郷町新高山城北側山麓船木を経て、天正二十年(1592)
この地に移されました。
 
坂道を登って行くと、お城の大手門の形式を持った山門と土壁は、西端を守る出城を思わせます。
 
この寺では、小早川隆景が死去したとき葬儀が行われ、この境内において火葬されました。
 
境内にある、禅風のがっしりした本堂の長押の上には、当時創建以来という鳳凰の彫物があり、開山堂には隆景公木像をはじめ、竹原小早川家の位牌が全部そろってまつってあります。
 
   山門 足細いです。

手入れの行き届いた石段


   小早川隆景公 小祠

                   重層裳階付きの本堂

                   菊門と五.七桐紋

               寺の西、郭を思わせる平地
            左上の建物は三原八幡宮の随身門

 
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     三原八幡宮
永正七年(1510)に比大神・応神天皇・神功皇后をまつり、西町・西野村一帯の総氏神として建てられたと伝えられます。
 
天正3年(1575年)小早川隆景によってこの地に移され、浅野時代、この南側に広がっている宮沖新開築造の際に新田が寄進されています。
 
伝えによれば、雄略天皇がこの地におなりのとき、
枝ぶりの美しさをめでられ、そのさまが時雨のようであったところから「しぐれ松」として市民に親しまれた松がありました。
これにちなんだ芭蕉の句碑や、昔、連歌が行われていた天神社などがあります。
ここより眺める市街地は西町一帯の古い家並みの続く旧山陽街道が眼下に見え、城下町のおもかげがしのばれます         
 
   石段

石段前の狛犬
大正四年        吽   阿
           吽の後ろから   力強い彫り

尾道市石工・新谷直助             阿の後             


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
随身門

左大臣                       右大臣
 
随身門前の狛犬  出雲お座り
この型は来待石製が多く、ほとんど原型が分からない程崩れている物が多いです
吽                 阿
            文政十二年(1829) 

円い台に乗っているのが多いです。顔の表情もよく分かります。
   
  参道

 
拝殿

拝殿前の狛犬
 
明治三十九年         吽                               吽   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                          謎の三角錐
                          


 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
謎の三角錐  立砂?盛砂?
阿吽の前にあります。

 


                        本殿

                東側は鳥よけ?のフェンスが     

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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