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女を幸せにできない男(26) 

2013年01月25日 外部ブログ記事
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女を幸せにできない男(26)

 益代にしても、春日部が思っていた女とは、随分と違う。
 茂と益代の二人して駄目にしたあの店の賃料を、益代が、ずっと払い続けているというのだ。二人でも、少し手狭とは言うものの、あの立地で、二階には住居部分もある。その家賃は十万円を下らない。それが、およそ六年間になるのだ。
 茂が驚いたような表情で聞いた。
「そんな事をして、いったい、どうしようとしたんだよ」
「決まっているじゃない、もう一度、あの店をやりたいの。茂にもう一度、あの店をやらせてみたいのよ。内装もあのままで、三日に一度は掃除にも行っているわ。ピカピカよ」
「・・・・・」
「勿論、そうするとなったら、春日部さんには、ちゃんと挨拶をしなきゃ、と思っていたわ。だって、あんな形で店を閉めて、春日部さんの顔を潰したんだもの。でも、春日部さんから、今回、茂を辞めさせると聞いて、そんなクビなんてどうでもいい、あの店を再開させる絶好のチャンスだと思ったの。それで心機一転、あの店で新年を迎えようと、置手紙にその事を書いたわ。ちゃんと決心をしてから来てくださいって。そうしたら、急に茂と連絡が取れなくなってしまって、ひょっとしたら、店を再開させるのが嫌で、それに、どうにか茂に店をやりたいという気持ちを起こさせようと、日頃から、私の茂に対する態度が酷かったから、それで、これをきっかけに、茂が何処かに行ってしまった、と思ったの・・・」
 茂に店を辞めてもらう、と益代に連絡を入れた時の、益代のあの含んだような物言いに、そういう事だったのか、と、得心がいった春日部だ。
「いったい、いくら払ったんだよ。中途半端な金額じゃないだろう。何か変だとは思っていたけど」
 茂が、半分は呆れ顔で聞いた。
「それが、大家さんに事情を話したら、それなら家賃は五万円でいいって言ってくれたの。そのかわり、いくら時間がかかっても構わないから、必ず茂に、あの店を再開させろと言われたわ」
「えっ?春日部さんが間に入ってくれていたから、俺、大家さんに挨拶にも行っていないし、そこまで言ってくれるって、いったい誰なんだろう。まさか、そんな知り合いも無いし」
 いや、茂もよく知っている人だ、と春日部が言った。
「坂本料理長だよ。君のことを高く評価していたから、あの店を君に、と言った時にも、二つ返事だった。彼ならよく知っているから、挨拶など、気を遣ってくれなくてもよい、当分は大変だろうからと、そんなふうにも言ってくれてね。一度は挨拶にも行ってもらおうと思っていたんだが、あの忙しさだろう。それで、その次がああだ。結局、そのままになってしまった。それに、わざわざ家主があの坂本さんだと言って、君にプレッシャーをかけたくなかったからね」 
「あのホテルの、和食の料理長ですか?確かに、賃貸契約書には、坂本何某とあったのは覚えていますが、本当に、あの坂本料理長ですか?」
「そうだ、君の先程の話しにも出てきた、和食の料理長だった坂本さんだ。今はもう、七十代も半ばを過ぎているだろう。年回りが、私より一回り上だったからね」
 年間の負担が六十万円、それが六年間だ。一途に茂を思っての益代は凄い。値引いてくれている賃料の差額分を支払ったと思って、開店に備えて預金までしていた、と電話で聞かされ、確かに益代は凄いと思った。だが、それにも増して、五万円以上の賃料を値引いたまま、何も言わずに、六年間も待っている坂本は、もっと凄いと思った春日部である。
 茂が和食の厨房に入るのを断り、春日部の厨房における茂の働きぶりを見て、悪いことをしたと、春日部にしばしば、悔いるようにも、残念そうにも言っていた坂本だ。おそらく、茂へのことで悔いた事の、その罪滅ぼしの意味もあるのだろう。勿論、益代の熱意にも打たれたに違いない。元々、そんな気質の坂本ではあった。

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