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軍艦利根資料館 

2013年04月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 
軍艦利根資料館
太平洋戦争末期、江田島湾奥に避難停泊していた重巡洋艦「利根」は、昭和20年7月24日から米軍機大編隊の襲撃を受け、乗員128名の戦死者を出し、28日夕刻トトウガ鼻沖に擱座しました。                   
この空襲では、町内の被害も甚大でした。        
昭和40年3月「慰霊碑建設委員会」を結成し生存者や遺族も参画して、慰霊碑を建立、同年7月25日第1回慰霊祭を行いました。以後、保存会を結成し、碑の周囲一帯を「利根公園」とし、昭和62年8月に「軍艦利根資料館」を建設しました。                        軍艦利根資料館前の海    



              慰霊碑入口


軍艦利根戦没者慰霊碑


 


    利根の20mm砲弾が慰霊碑を囲んでいます。  


 軍艦利根資料館    


                碇


精巧な模型 空田重男氏の寄贈


   うまく撮れませんでした。   


資料館には引き上げられた利根の舵輪、副碇      
信号燈、コンパスなどの遺品が展示されています          


 


 風呂釜 


 
利根沈座位地
資料館の目の前です。


沈座した利根と航行する利根(下段)

昭和20年7月28日空襲を受ける利根

今はのどかな海です。





江田島周辺では利根の他、多くの軍艦が防空砲台と
して配置されていました。                 
艦を動かす燃料が尽きやむなく防空砲台(浮き砲台)
として運用されました。                           
 最後の燃料をかき集め大和は沖縄へ出撃しました。

 
主な被害艦
戦艦  榛名 伊勢 日向
空母  天城 葛城 鳳翔 龍鳳
巡洋艦 磐手 出雲 青葉 利根 北上 大淀
駆逐艦 宵月 梨 樺
          空襲前の艦船配置


            
     呉軍港空襲         
昭和20年(1945)3月19日、7月24日 7月28日の三度行われた、呉軍港および瀬戸内海西部への空襲作戦。この9日後、8月6日には原爆投下、15日には終戦と
なりました。                          
 
動かない軍艦をわざわざ空襲する必要があったのか
疑問です。                          
なお、この空襲とは別に、呉市街地は7月1日深夜から
2日未明にかけて戦略爆撃を受けています。
呉市の周囲を先に爆撃し逃げ場を無くしてから中心部を爆撃するという残忍な空襲でした。          
 
空襲を受ける戦艦榛名 小用沖


このすぐ下あたりです

大破着底した戦艦榛名  ウィキペディアより

海鮮市場前から

ここでは駆逐艦 大淀が転覆   ウィキペディアより

早瀬大橋の手前 コンビニ駐車場
形の良い桜とZ




  
 
             
 

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