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摩訶衍寺(まかえんじ) 

2013年04月19日 外部ブログ記事
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  摩訶衍寺(まかえんじ)
 
摩訶衍(まかえん)とはサンスクリット語(インド)で
大乗(共生、一緒に)仏教 の意味が込められています。
 
              由 来   
 
昔、寺が建つ場所には旅人が休憩を取るお堂がありました。
諸国行脚の旅に出ていた行基が、そのお堂で一夜を明かすことになり、その夜、夢に樅の霊木が現れ、
観音像を彫るよう、お告げがあった。
        
その後、十一面観音像を彫り上げた行基は、
天平十八年(746)、その場所に寺院を建立して像を安置、法相宗の寺として開基した、という。

        
寺は周辺の村人の信仰を集めて栄華を極めたが、火災に見舞われ、本堂が焼失。 
その後は衰退したが、村人らが焼け落ちる建物の中から観音像を救い出し、守ってきた。 
 
転機は室町時代。戦に向かう足利尊氏が寺の立つ大鵬山(当時)に本陣を置いたことから 摩訶衍寺はその庇護を受け、廷元元年(1336)には真言宗改められ、七堂伽藍が建立された。

       
 尊氏に付き従って戦功を立てた備後地方の豪族、杉原信平・偽平兄弟は尊氏から寺の周辺13ヶ村を領地として与えられ、寺の近くに鷲尾山城を建て居城したという。
        
しかし、その後も幾度なく火難に見舞われ、
天正十二年(1584)には、杉原氏が千光寺山に城を移したため、以来、住職が不在になるなどとし、後に曹洞宗の僧・通天梵達によって万治元年(1658)に再興されるまで低迷の時代が続いた。

     

 此処、摩訶衍寺には、秘仏の重要文化財「十一面観音立像」(像高188㌢)のほか、重要美術品の
「千手観音立像」(同104㌢)が、今も陽光に映える松永湾、点々と広がる島々や、山裾に広がる街並みを見守っています。  ( 摩訶衍寺ホームページより)
 
 
だらだら坂道です     左の山上です。

途中の風景


                         

    30分近く歩いたでしょうか   到着

                     山門

                    山門内の仁王

  
                   とどめの石段

                      石垣

古い石垣のようです


                        本堂

正面 裳階では無く2階建て


                      西側

 
本堂内の撮影は遠慮しました。
 
    本堂東側

                ヤマモモ (天然記念物)

                      五輪塔

      本堂内からの展望

 

 


   摩訶衍寺をあとにします。

帰りのバスではずっと寝ていました。
疲れましたがよい探訪でした。
 
 動画
      
 

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