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山口大神宮 

2013年05月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 
山口大神宮は、永正17年(1520)に大内義興が朝廷に奏聞して勅許を得、伊勢皇太神宮のご分霊を勧請した神社である。                          
14世紀の中頃から、大内氏は山口に本拠を置いていたが、京都で応仁の乱がおこり、その兵火で京都が疲弊するに反して、山口の町は平和で豊かであった。    
 
それで都から移り住む公卿や文化人などが多く、山口は西の京都といわれる程の繁栄を誇った。        

大内義興の時代、前将軍足利義植が京都を追われ、山口に来て大内氏にたよったが、義興は、永正5年(1508)6月、これを奉じて上洛し、以後11年間、管領代として将軍に代わって日本の政治にあずかった。この間大内氏の武力と財力はよく京都の治安に任じ、義興が管領代であった11年間は、応仁の乱後京都にはじめて平和の気分がよみがえったという。 (山口大神宮HPより)             


 
 

                    神馬像

           大きな燈籠と手水舎

      高嶺稲荷神社入口

鳥居前にはユニークな狛犬
       吽               阿

 
 
 
 
 
 
 
  
正面からみると一層面白い顔です
 
       阿の口を覗く
     モルタル造りで鉄筋が入っています。

 
高嶺稲荷神社の脇を抜けて多賀神社へ向かう

 
    石敢當(「いしがんどう、せきかんとう)
 石敢當は道に設置される魔よけ。中国が起源で本州では
珍しいらしい。
特に沖縄を中心とした南西諸島に多く分布しており、沖縄の路地を歩くと随所に見ることが出来る。



 
多くのキツネ像があります


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高嶺稲荷神社
 
山口大神宮の末社で、鎮座当時の「山口伊勢二所太神宮」(木版)の境内見取図によると、現在の神楽殿の近くにあったものと思われる。                  
 その後現在地に移され、大正12年に改築された。                   
農産物の守護、商売繁昌、三難(火・盗・病)消除の神として古くから篤い信仰を受けている                  


拝殿脇では備前焼き狛が相談中


 

 
池の島にもキツネが一杯

手水の横へ出られます。神楽殿が見える。

 
 
多賀神社
多賀神社は近江の多賀大社の御分霊を勧請した古社で、創建年月は不明である。                
永和年間(1375〜78)に大内弘世が社殿を建立し、
さらに大内義興が永正9年(1512)に重建した。
永禄12年(1569)の大内輝弘の乱で社殿が焼失し、
慶長15年(1610)に毛利輝元が再興した。  
 
        本殿          

吽   多賀神社の狛犬      阿
昭和三十九年
吽前から神楽殿 

大神宮への石段
一見してこれは古い狛犬





 

阿の裏に年号が有りました。
寛政三年(1791)

 
外宮    内宮(奥)

外 宮

 


 
 

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