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築山跡 八坂神社・築山神社 

2013年05月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

                  築山跡
 
                                          
大内教弘が築いた別邸、築山屋形の跡といわれます。かわらけの大量使用が認められるほか、史跡の南辺で堀跡が確認されたことから、大内氏館跡と同様の室町将軍邸を範とした居館であったと考えられています。
 
大内氏館が手狭になり、これに対応するために築かれたのが築山館です。
おもに来客をもてなすときに使われたが、後に歴代当主の居館となりました。
陶隆房の謀反時に大内氏館とともに焼け落ちてしまいましたが、江戸時代末期に八坂神社の社殿がこの跡地に移築されました。
               

 

                 八坂神社 拝殿
本社は、今から六〇〇余年前に大内弘世が京都から勧請したもので素戔嗚尊・稲田姫命・手名槌命・足名槌命を祭神としている
 はじめ社殿は上堅小路に建立されたが、さらに水の上に鹿社地がかえられた。その後永正十六年(1519)に大内義興が大神宮を高峰山麓に建立したとき、本社もその地に移し社殿を新築した。江戸時代の末期毛利氏は社殿をこの地に移したが本殿は永正年間に建立されたままのものである。


 

     拝殿に楼門が付く珍しい殿

                   拝殿前の狛犬   
 御影石製で彫りが浅い素朴な狛犬です。
体が直立し前後足の間が狭いのは、古い狛犬です。
毛、尻尾も単純ですが、丁寧な造りです。       
               吽形






                       阿形



 
                      本殿

三間社流造りで、屋根は檜皮葺。
本殿の周囲に配されている、十三個の変化に富んだ
蟇股は、珍稀な図柄とともに室町時代の特色をよくあらわしている



 
隣の稲荷社本殿と築山神社本殿

 
                  築山神社本殿    

 

拝殿屋根の大内菱



 本殿西隅に、かぎの手に土塁(築地)が残っています。往時の館の規模を示す遺構として重要です。

拝殿
今回はこの写真しか撮ってませんでした
屋根の白いシートが被せられているので反射しまくり

前回(2010.6.26)の写真
本殿を修復する気は無いようです


築山神社前から八坂神社方を見る


   筝曲組歌発祥之地 石碑
   碑の文字は佐藤栄作 昭和41年建立


   盃状穴の詳しい説明板



本殿狛犬前から八坂公園を見る

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