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大内氏館  

2013年05月06日 外部ブログ記事
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               大内氏館      
                参道

                        山門

正確な建築時期は不明であり、江戸時代に描かれた
山口古図によると14世紀半ばの1360年頃とされるが、発掘調査によると1400年代半ば第13代大内教弘の建築である可能性が高いとされます。
大内氏の繁栄とともに“西の京”山口として栄えたが、
弘世の子・義弘の頃にはもう手狭になったようで、
すぐ北側に築山館を築いている。
大内氏館もその領土の拡大とともに最低5回の増築を繰り返していることが発掘調査により確認されています。

                        門内

 

 

        大内義隆卿主従之供養塔

 

辞世の句碑
                  
               大内義隆 御辞世 
              討つ人も 討たるる人も 諸ともに 
                    如露亦如電 応作如是観

弘治二年(1556)に毛利元就が侵攻)してくると、大内義長は山口を放棄して逃亡。大内氏館もその役目を終えることとなりました。
翌年、同地に毛利隆元が大内義隆の菩提を弔うために龍福寺を建立しています。

本堂

                本堂横の資料館

              大内義興公 馬上展望像
        躍動感ある馬が特徴です。

                       資料館内
              肖像画(複製)

 

          大内義隆と毛利元就・隆元対面

                  馬上像前から本堂

         復元された大内氏館跡の池泉庭園
    敷地南東部に位置している館跡最大の庭園

                 空堀跡と復元土塁


 



 

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