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人生いろは坂

自然は思うようにならぬもの 

2013年06月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 昨日は良い天気だったが今日は一変して雨だ。朝から激しく降っている。
これで畑の野菜の幾分かは雨のため枯れてしまうかも知れない。
根腐れの可能性があるからだ。すでにキュウリが一本枯れてしまった。

 今年のキュウリは春先が寒かったので一度は植えてみたものの全部枯れてしまい
植えなおしたという人も少なくない。我が家では忙しくて植えることが出来なかった
のが幸いしたようだ。しかし、例年のような勢いがない。気温が低いからだろうか。

 その上、この大量の雨である。畑は底の方まで雨がしみ込んで水田のような状態だ。
これでは根腐れするのも無理はない。

 毎年良く出来るように思っているけれど実はこんなことの繰り返しである。
良く出来るものもあれば全く不作のものもある。これが自然というものであろう。
一喜一憂することなく作り続けて行くのが家庭菜園というものであろう。
これが本業ともなると事情は異なってくる。

 先日、ある人からメールが届いた。その人をYさんとしておこう。Yさんは
自分のルーツのことを調べていて私のサイトにたどり着いたものらしい。

 それは以前ホームページ上で公開していた「布施の経済」という記事に
ついてである。

 お布施とは仏様にお供えするお金などのことである。しかし、意味の範囲は
広い。対象は必ずしも仏様ばかりではない。貧しい人への施しもその範疇に入る。
生前に施しを行い功徳を積むと死んで天国へ行けるという思想に基づくものである。

 従って信仰心の篤い人は競ってお寺や神社に寄付をした。こうした信仰心が
篤かった時代には寺社はずいぶん賑わった。ある種の観光地であったわけである。
今も信濃の善光寺や東京の浅草など著名な寺社は多くの参詣者で賑わっている。

 そうした信仰が篤かった時代にここ児島の瑜伽山蓮台寺も信仰篤き多くの
参詣者で賑わっていた。更には向かいの金毘羅さんとの両参りがブームとなり
地元の港も行き来する参詣者で賑わっていた。

 その頃、瑜伽への道の一つに磨崖仏があった。この磨崖仏はある事故で破壊されて
しまったのだが、その頃は信仰の対象であったらしい。磨崖仏に詣でさらに蓮台寺に
お参りするのが信仰篤き人々のコースだったのかも知れない。

こうした寺社に詣でる人たちはお供えの花を買ったり、線香を買った。
その売上金から代官所へ税を支払っていたというから並みの売上ではなかった
のであろう。そうした人の名を刻んだ大鳥居が今も参道の入り口に立っている。

 そして児島は繊維の街である。こうした参詣者は真田紐や小倉帯などを
お土産に買っていったというのが繊維産業の基礎を作ったと言うのである。

 信仰と経済、こうした時代には巨大資本にお金が吸い上げられることなく
地元に落ちたお金は地元の経済を潤し、お金は地元で回っていたのである。
少なくとも終戦直後までこうした時代であった。

 本来、経済というものはこうした規模で回るだけで良いのではないだろうか。
いくら大企業が稼いで大きくなったと言っても私たちの生活が豊かにならなければ
何の意味も持たない。地元経済が潤い、働き場所が確保できてこその経済である。

 もはや巨大化しすぎた経済は弊害であっても利益にはならない。
経済に振り回され政治まで支配され、多くの若者は満足な就職先もなく
精神的な異常者まで多発するようになっては全く意味を持たない。

 子供のころ夕涼みをしながら将棋や囲碁に熱中するお父さんたちの周辺で
はしゃぎまわる子供たちがいた。仕事を早めに終え、家に帰り風呂に入り
あるいは行水をして、貧しいながらも食事を家族そろって済ませ、寝るまでの
時間、外で夕涼みをする。もう九時を過ぎるころになると急に涼しくなる。
そして蚊帳の中に入り横になる。これが日々の繰り返しであった。

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