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宮島探索 

2013年06月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 
      宮島探索
探索の会が解散後、一人でちょっと寄り道しました。
桟橋前の模型


    こんなに鹿がいたかな?
   鹿も代々島内で住む場所が決まっていて
   街中で人の餌で生きるタイプと山中で野生の
   まま暮らすタイプがいます。


    やはり狛犬に目が行きます。


厳島神社裏の狛犬  明治

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
厳島神社裏   ちらりと鳥居が見えます。

    五十塔、千畳郭がある塔の丘へ裏から上がる

          龍髭の松

                千畳郭
天正十五年(1587)、豊臣秀吉が戦で亡くなった者への供養として毎月一度千部経を読誦するため政僧・安国寺恵瓊に建立を命じた大経堂です。
島内では最も大きな建物で、畳857枚分の広さがあることから千畳閣と呼ばれてきました。
秀吉の急死によって工事が中止されたため、御神座の上以外は天井が張られておらず、板壁もない未完成のままの状態で現在に至っています。
江戸時代、既にここは交流の場・納涼の場として人々に親しまれていたようで、大きな柱には当時の歌舞伎役者一行の名や川柳などが記されています。明治の神仏分離令により仏像は大願寺に遷され、秀吉公を祀る豊国神社となりました

               五重塔
千畳閣の隣に建つ五重塔は、和様と唐様を巧みに調和させた建築様式で、桧皮葺の屋根と朱塗りの柱や垂木のコントラストが美しい塔です。
高さは27.6m。応永14年(1407年)に建立されたものと伝えられています。
内部は完全な唐様で、一般の見学はできませんが、内陣天井に龍、外陣天井には葡萄唐草、来迎壁の表には蓮池、裏には白衣観音像などが極彩色で描かれています。
塔内にあった仏像は、明治元年の神仏分離令により、大願寺に遷されました。またこの五重塔が建つ塔の丘は厳島合戦で陶軍が陣を構えたと伝えられています。

   千畳郭と五重塔

 千畳郭の海面の階段を降りた所  厳島神社入り口

 
参道の狛犬 大きい狛犬が三対 
神社に近い方から 明治三十一年玉乗り

 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
このあたりから神社回廊がよく見えます。
十時頃から半日、島にいれば、海に浮かぶ神殿と潮が引いた神殿両方見られます

これも玉乗り  明治四十年

石工 尾道
大村喜兵衛
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 鳥居がバックの大きな狛犬です。

鳥居前の狛犬  銅製

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
朝に船でくぐった鳥居も潮が引き歩いて下まで行けます

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