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たかが一人、されど一人

日本人の物差し 

2013年07月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

今週は2日も図書館で古い雑誌を読んだので、昔のことを想いだしたりして楽しかった。ずっとノンポリで来てしまったので、個人的には子供の頃から現在に至るも価値観に大差はないと思っている。しかし、自分が誕生した年(1940年)の雑誌と10歳(1950年)になった時の雑誌を読み比べると、内容から伺われる精神的と言うか価値観とも言うべきか、その落差の大きさに驚かざるを得ない。更に期間を10年先(1960年)に延ばすと、日本の変わりようは、誰がどう見ても奇跡にしか見えないだろう。1960年当時ですら外国人から見た時、この変化、落差の大きさは少し不思議に見られたようだ。それは当たり前だと思う。幾ら占領下にあったにしても、たった10年で、現代風に言えば、外部から圧力があって自公政権が共産党政権にひっくり返り、国民の大部分が喜んで共産党員になってしまったようなものだろう。実際は欧米風民主主義政党であるけれど。個人的勝手を言えば、終戦前までの日本人と1960年の日本人は異なる民族と言わざるを得ない。終戦までの日本人は良いか悪いかは別として、固有の歴史と文化を背負った民族であったと思う。国民全員が法律以前に何か社会的規範を共有していた筈である。上手く表現できないが、社会の結びつきを構成する重要なもの、価値観の尺度のようなものかもしれない。1958年に尺貫法が変わるが、1貫目が3750グラムに変わった。大部分の人は「何の不都合がある?」だろう。しかもこれは占領統治下のことではない。故に、ここで書きたい落差の違いが余計分かり難いのだ。占領軍が命令を発し、「今日から日本人は全員、欧米風民主主義政党員になるべし。」と言ってくれたならまだ分かりやすい。憲法にせよ法律の大部分は、戦前と大差ない日本の日本人による立法府で作られ、それに従って社会が自然に変化してきているだけではないか。表面的には社会の全てが、固有の歴史や文化を引き継いでいるかのようにも見える。しかし一般国民からすれば、憲法や法律の持つ意味はそれほどのものではなく、戦前戦後のその違いなんか殆ど関係が無いのではなかろうか。我が国は戦前でも四民平等であり、言論の自由も保証されていたに違いない。何が変わったのか分からぬが、何かが大きく変わっている。学のある人の教えてもらいたいが、愚考するに「権威」の概念が失われたのではないだろうか。憲法にしても天皇にしてもお伊勢さんにしても、一見権威が保たれたように見えるが、全て「フェイク」偽である。現代日本は壮大な虚構国家、或いは二重構造国家になってしまってはいないか。個人個人が好き勝手やって、それなりにハッピーなうちは結構だが、窮地に立った時求心力が働かないかもしれぬ。自分でも生煮えのままつまらぬ事を書いてしまった。本当に書きたかったのは戦後の日本とドイツとの比較だった。ドイツ人は何度大戦で負けても、変わらぬ民族性があり、国家の再統合が果たせたのもそのせいではないかと言う人もいる。実情に詳しい人に聞いてみたいものだ。明日から一週間休みます。

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