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たかが一人、されど一人

手紙 

2013年08月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

先日思わぬ人から残暑見舞いを貰った。たった1枚の葉書で、書いてある内容もそう多くはない。しかし手書きの文面には、文字以上の内容がびっしり含まれているような気がする。人間同士のコミュニケーションは互いに顔を合わせて言葉を交わすにしくは無い。目は口ほどににものを言い、である。合い見て話し合えば、例え束の間の逢瀬であっても思いは通じ、満足に繋がる。昨日、1年以上会ってなかった孫の顔を見てしみじみ思った。それが適わぬとなれば、せめて電話でもと言うことになるのか。歩きながら、或いは自転車に乗りながらでも電話をしている人たちを見るにつけ思うのは、この人たちは一体何を話しているのだろう?簡単な伝言なら兎も角、仕事であれ私用であれ、本当に自分の思いを伝達できるのだろうか、とてもそうとは思えない。比較すれば手書きの手紙には、明らかに思いを伝えるより強い力あるだろう。しかし便利さにかまけて手紙を書かなくなったのは事実。実際に中元歳暮のお礼でも葉書を書くより電話で済ますことが多くなった。多くの友人知己も同様のようだ。中でたった一人だけ、何十年来と進物の礼状を手書きでくれる友人が居る。互いに1年に1度会うか会わずの仲で、あってもさしたる話がある訳ではない。しかし面白いもので、手紙を貰うたびに彼と共有している思い出が鮮やかに甦るのが実にうれしい。上手と下手には関係なく、独特の筆跡から思い浮かべる知友の姿は懐かしいものだ。文を書くのも貰うのも、これから減る一方のことだろう。携帯電話も一応持っているが使うことは滅多に無い。珍しくそのベルが鳴った。婆さんから「眼鏡屋から電話が来て、注文の品が出来たそうよ。」との連絡だ。残暑見舞いに返事を書き掛けていたところだったので、一向に進まぬ葉書書きに比べ電話の便利さを思うが、便利さの代わりに失いつつあるものをふと思った。

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