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たかが一人、されど一人
読後感「吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一」湯浅博著
2013年08月21日
テーマ:テーマ無し
戦後の占領時代に長いこと首相の座にあり、警察予備隊創設に直接関わったことを思えば、吉田氏に軍事顧問が居て当たり前、むしろ居ないと思う方が無理かもしれない。しかし辰巳栄一氏の名前は本書を読むまで全く知らなかった。氏は旧帝国陸軍の大幹部で、昭和18年には既に中将にまで上り詰めているから半端な幹部ではない。しかも昭和21年5月に任地の支那から復員すると、直ぐに吉田氏に呼び出され、占領軍との折衝等をサポートして吉田政治に深くかかわった。にも拘らず、その名前が表に一切出ることなく今日まで来たのではなかろうか。ひょっとすると知らぬは小生ばかりで、近代史を余りに知らな過ぎるからかもしれぬ。改めて歴史には表と裏があり、表に出ることなく蓋を閉じられているが、後世に大きな影響を残す事件や人間が多いことを痛感した。佐賀県出身の辰巳氏は明治28年生まれ、大正4年陸士第27期生で卒業、大正14年陸大を恩賜の軍刀組で卒業した秀才である。昭和5年に英国大使館付きを命ぜられて、以来3度にわたる英国大使館勤務で都合10年を英国で過ごすことになる。大使館付きの武官は諜報の最前線にいる訳で、まして当時の英国は世界中の情報が集中するところであり、辰巳氏はその渦中にあって、本土の参謀部とはかなり異なる認識を持つに至ったのもごく当然であったに違いない。しかし当時のヨーロッパはドイツが台頭し始め、日本でもドイツの「バスに乗り遅れるな」みたい雰囲気が醸成されつつあった。この辺の情報分析の甘さは後世批判が強いが、軍部においても政治や外交の世界でも残念ながらそれが主流になっていったのも事実である。政治の世界では外務省出身の吉田茂氏も当時の主流からは外れた英米主義者の烙印が推され、昭和11年に駐英大使に飛ばされ、同14年には退官を余儀なくされているている。この吉田駐英大使時代の大使館付武官が辰巳氏で、日独伊連盟の危険性については大いに共感するところだったのだろう。結局辰巳氏は真珠湾攻撃を大使館で知る事となり、翌年交換船で帰国。終戦間際(20年3月)に支那に師団長として転任するまでは、ロンドンで首都防衛を経験したからとの理由で首都防衛を所管する参謀長を務めることになる。根っからの軍人ではあるが、英米に多数のコネクションを持っていたせいでもないだろうが、戦犯指定も受けていない。そして前述のように、復員すると同時に吉田氏の依頼を受けて、首相の軍事顧問となった訳である。吉田氏は外交と軍事が表裏一体であることは十分承知したいただろう。辰巳氏は影の顧問と言われているが、当時のGHQとの折衝では民生面の白洲次郎氏と双璧で、軍事に関わる事案についてはかなり前面に立ったようである。そして昭和25年には朝鮮動乱が勃発、マッカーサーの占領政策も言わば180℃転回して日本に再軍備を迫るようになる。かくして、日本では憲法には手を触れぬまま、鵺のような軍隊の警察予備隊の創設になるのである。このとき吉田とマッカーサーの間でクーリエを務めたのが辰巳と言うことにいなるらしい。もちろん初めて知る話だが、この警察予備隊の落ち着きどころを得るまでには、辰巳VS吉田には相当な激論が交わされたようだが、結局アメリカの言い分が多く通ったのはやむを得ないことだったのか。最近になって自衛隊の存在と米軍との関係が何かと大きな問題になりつつある。その根源となった警察予備隊の創設に、いかに間に合わせとは言え、深くコミットしていた辰巳の知名度がこんなに低いことは驚くべきことではないか。
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