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北軽井沢 虹の街 爽やかな風

オートバイレースの歴史 

2013年08月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 

 

 

 
最近気が付いたのだが、北軽井沢セーブオン駐車場の南側に奇妙なものが建設されていた。
よく見るとコンクリート造のモニュメントにオートバイが飾られている。そばにいた人の話ではよくわからなかったが10月4日に除幕式があるらしい。中央のオートバイの下のコンクリート平板部分におそらく何か書かれた名盤が張られるのだろう。
 
ブロ友のY君から聞いた話だと、ここ北軽井沢はオートバイレースの発祥の地だという。
ちょっと調べてみたら、昭和30年浅間時代の幕開けにヤマハが二輪産業に参入したというのを見つけた。日本楽器(ヤマハ)から独立してヤマハ発動機という会社ができたのが昭和30年。その昭和30年11月に開催された「第1回全日本オートバイ耐久ロードレース」が開催されたが、このレースが通称「浅間高原レース」というらしい。
 
この第1回浅間高原レースは公道を使用したレースで、そのあとやはり行動はダメということになり、昭和31年6月に二輪メーカー19社による浅間高原自動車テストコース協会が設立され、常設コースの建設が始まるがこの19社は、ホンダ、トーハツ、スズキ、トヨモーター、メグロ、クルーザー、ポインター、ヤマハ、ライラック、ヘルス、アストンマーチン、メイハツ、ツバサ、ラビット、アサヒ、陸王、フジ、DSK、ホスク。
何とも懐かしい名前が出ているではないか。ただ一つ漢字の陸王なんて覚えているだけで嬉しくなってしまう。そしてアサヒ?まさかビールがオートバイになったわけじゃないだろう。私の父が今生きていたら涙を流して喜ぶに違いないが、この時、すでにスズキの名前があるのは意外だった。
 
そして、昭和32年7月に浅間テストコースが完成し、10月に第2回全日本オートバイ耐久レースが開かれた。昭和30年の第1回、北軽井沢周辺の公道を使ったレースは「浅間高原レース」、昭和32年の第2回と昭和34年の第3回、浅間高原自動車テストコースでのレースは「浅間火山レース」というらしい。
 
素晴らしい大自然の浅間高原には、数々の楽しい歴史もある。私にとって偶然やってきたこの地は、今ではワクワクするような人生の楽園である。
 
 

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