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人生いろは坂

錆びるということ 

2013年10月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 鉄は著しく酸化しやすい。従って古代の遺物である青銅器はたくさん発見されて
いるのに鉄器の発見は少ない。発見されても元の形が判別できないくらい錆びている。

 酸化とはものが腐ることであり、錆びることである。ものが腐るとおびただしい
腐臭を発する。形が崩れてしまう。人間の体も年を取るごとに酸化している。老化は
ある種の酸化でもある。

 生物は酸素を活用するようになって著しく活動的になった。ブドウ糖と言う
炭化物質を燃焼させ、熱エネルギーを獲得することに成功したからだ。人間の
体温も酸素によってブドウ糖が燃焼しているからだ。その代り体の老化と言う
高い代償を払うことになった。生まれて以来、人間の体は酸素によって老化している。
老化はどうしようもないことである。

 今の先進国と言われている国々は成熟した社会だと言われている。しかし、反面
酸化した社会だと言えよう。政治をはじめとして社会全体が修復不可能なくらい
機能不全を起こしている。いわば錆びて腐臭を発している状態だ。

 この状態を修復するには酸化から還元型の社会へと変革しなければならない。
ちなみに原発事故による放射能被害は放射能物質が発する電磁波による酸化である。
α、β、γと名付けられた各種の電磁波によって生物界全体が著しく酸化している。
体が酸化すると免疫力が落ちてくる。免疫力は生物が悠久の時の流れを得て獲得して
きた体を守るための機能である。そう簡単に壊れるものではない。従って免疫力を
維持し高めるためには自らの努力も必要になってくる。

 免疫力は、どうやら気力とも大いに関係しているらしい。心の持ちようで大きく
変化するものだということが医学的にも証明されている。西洋医学を学んだ
お医者さんでさえも同じようなことを言っているのだから間違いはないだろう。

 さて話は変わるが現代に生きる私たちは豊富な情報に囲まれて生きている。
どれが正しくて有用な情報か消化しきれていない。むしろ情報に振り回されている
と言っても過言ではない。しかし、情報の良し悪しの判断ばかりは他人に頼る
ことは出来ない。自らの考えに基づいて判断を下すしか方法がない。

 その一つの解決策として私が考えたのは、太古の昔を想像してみよと言うことである。
全ての原点は、私たちが飢えを癒すために食べ物を求めて山野を駆け巡っていた頃にある。
たった百数十年前のことではなく、何万年と言う人類が誕生してからの歴史の中にある。

 畑を作っていてつくづく考えるのは畑ほどそれを管理する人の思想により変化する
ものはないということである。たとえば雑草のことについて考えてみよう。雑草と
呼ばれるものはことごとく悪いと考えている人は、畑に草が生えているとたまらなくなる。
中には一本の草もなくきれいな畑もある。

 しかし自然農を目指す人は草も自然の一部だから癇性に抜く必要はないという
考えである。むしろ季節外れの雑草は生やしたままで、やがては枯れて肥料になる
と考えている。こうしてみると両者の考えには月とスッポンほどの開きがある。
ことほど人の考え方には違いがある。その違いが肉体と言うものに大きな影響を
与えている。

 昔から畑に草を生やさないのが篤農家だと言われてきた。今も日本人の心を支配して
いる。その自縛から逃れられない人が多い。私もどちらかと言うとその一人である。
畑を維持管理するには余分な労力を必要とする。しかし我が家の果樹畑では維持管理が
出来なくて仕方なく笹も草も生えるがままにしている。このままの状態で何年が過ぎた
であろう。

 今は、ほとんど気にならなくなってしまった。しかし、どの果樹も比較的良く出来て
いる。特に柑橘類にとって雑草は全く問題にはならないようである。栗も柿も同じ畑で
作っている。今年、栗は従来になく豊作であった。

 そして農薬も使わなくなった。あれほど癇性にあれこれと使っていた農薬は、今は
ほとんど使っていない。それでも一部の種類を除けば良く出来ている。出来ればよし
出来なくても諦めて来年を待つ。そんな考えで作っている。

 こうした考えになって五、六年が過ぎた。変化は数年前から現れ始めた。蜘蛛が著しく
繁殖し始めたのだ。その蜘蛛も今年は少しばかり少なくなった。餌になる虫(害虫)が
少なくなったからだろうか。不思議な現象である。

 ものの本に書かれていたが自然農に近くなれば近くなるほどミミズもいなくなるという。
我が家の畑では自然農には今少し時間がかかるようである。ミミズもいるし、蜘蛛もいる。
まだまだ私自身の修行が足りないのかも知れない。

 このように畑を作ると、その人の性格やものの考え方が如実に反映される。自然界に
手を加えれば手を加えるほど手が掛かるようになる。何もせずにそのままにしておく方が
良い。そんなことを教えてくれる畑である。

 体には免疫力と言うものが備わっている。その免疫力を生かし切れないまま熱を
下げる薬を飲んでしまう。それによって免疫力が失われる。実は悪循環なのだ。
体温が上がると(38度5分くらい)になるとマクロファージの働きが活性化する。
体の免疫機能は体温を上げてマクロファージの働きを活性化するように出来ている。
38度5分くらいの体温が最もマクロファージの働きが活性化すると言われている。
そのように人間を進化させてきた悠久の時の流れが体の機能を作っている。

 こうした体についても畑と同じように、その人のものの考え方が深く影を落としている。
清潔にするということはコマーシャルで盛んに宣伝され様々な製品が販売されている。
しかし、ほんのわずか昔、西洋では馬小屋に子供を連れて行き、わざと馬小屋の藁で
子供を汚していた。むろん子供に免疫力を付けるためである。今は清潔に清潔にし過ぎて
全く反対のことをしている。

 その昔、私たちの祖先は風呂に入る習慣もなく、洗剤や石鹸などと言うものも
知らなかった。それでも生きてきた。生きてきたどころか今日の大繁殖の基礎を
作ってきた。本当にそれほどまでにして清潔にすることが必要なのだろうか。

 私たちは今こそ過去を学ぶ必要があるのではないだろうか。発想を変えて今に生きる
術を身に着ける必要に迫られているような気がしてならない。何気なく習慣的に
続けてきたことに思わぬ落とし穴はないのか。マスコミや他人の考えに振り回されない
自分自身を作りたい。そう思うのである。

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