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東城 お通り  

2013年11月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

  東城 お通り 腰元を追う
  世直神社参道から東城の町を見る

混まないうちに町並みを散策

杉玉

 

来季から中日の監督になる谷繁選手の実家が町並みの端にあります
             記念館が併設

 
 
 
 
 
 
 
            大名行列先頭
慶長6年、広島藩主福島正則の家老として、東城五品嶽(ごほんがだけ)城主となった家老長尾隼人正一勝が、関ヶ原戦勝を記念して、祭礼御輿行列に武者行列を加えたのがはじまりとされています

家老、殿、姫

               腰元

めがね侍ばかりでした。     この人が一番侍っぽい


 
 
 
 
 
 
    布衣行列のは東城だけといってし華童子行列ょう

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
         駅まで腰元に付いて歩く

             駅で休憩
      今年は武者行列と鉄砲隊がいません

          ローカルですな〜

   
    突然の雨 結構な雨量でした。皆駅舎へ避難


なんとか雨があがり再出発

なおも腰元に張り付く

 
別の道から武者行列と鉄砲隊合流

娘武者4人

今年は大砲を引っ張ってませんでした。

殿様一行を残し布衣行列は出発




 

 

            五品嶽城跡
戦国時代から江戸時代初頭にかけての山城で、五本竹城・世直城ともいわれた。築城年代は明らかではないが、宮氏が築城し大富山城を築いて移るまで、宮氏の本拠とされた。
以来、宮氏はこの城を東城、大富山城を西城と呼んだ。
宮氏が毛利氏の命で出雲に転出したあと、天正19年(1591)には石見国から佐波越後守広忠が東城城主として赴任した。
佐波氏は菩提寺を川東の千手寺に合併し、寺領を寄進している。
しかし佐波氏も慶長5年(1600)の関が原の戦いののちは毛利氏に従って萩に移った。
 
毛利氏に代わって芸備の太守となった福島正則は、その三家老のひとり長尾隼人正一勝を東城の城主に任命し、備中・伯耆の国境守備にあたらせた。
長尾氏は帝釈の永明寺に鉄製の鰐口を、川西の法恩寺には大般若経600巻を寄進している。
元和元年(1619)には福島正則も広島城の無断改築を理由に改易され、長尾氏も津山に去って、この城は廃城となった。

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