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人生いろは坂

里山資本主義 

2013年11月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 最近、田舎住まいを志向する人も少なくないようだ。しかし、テレビ番組などで
紹介しているようにはいかないようだ。と言うのも、その人の年齢やそれまでの仕事
(経歴)など田舎住まいには欠かせない諸条件があるからだ。

 かくゆう私も一時は田舎住まいにあこがれたこともある。しかし、経済的なことや
交通の便や果ては病気になった時のことなどを考えると容易には決断がつかなかった。
ただ言えることは、決断したら若い時の方が良い。田舎暮らしを続けるには体力が
必要だからだ。

 幸いにも私の場合、今の生活も田舎住まいに近いようなもので、趣味としての農業も
やりつつ半都会的な生活を続けている。こんな生活を始めて40年近くになる。

 最近、盛んに里山資本主義なる言葉を聞くようになった。特に岡山県の山間部に
おける埋もれた資源である山林を活用した活動が注目されている。私はマスコミが
取り上げる以前に、この工場を訪れたことがある。材木を加工して集成材なるものを
作っている会社であった。そして廃材は工場の動力源としての発電に活用されていた。
また今日ではペレットストーブの燃料としても活用されている。

 里山資本主義を町ぐるみで実行しているところがある。四国カルストで有名な高知県の
檮原町である。ここは早くからカルスト台地に巨大な風車を設置して発電を開始した。
発電した電力は四国電力へ売り利益を得ている。

 この町のすごいところは発電だけにとどまらない。売電で得た利益で町の再開発に
取り組んだことである。その一つが町の財産である森林資源の活用である。廃材や
間伐材などを活用してペレットを製造し販売している。

 ペレットは販売だけでなく町の施設でも冷暖房用のエネルギー源として活用されている。
こうして、ともすれば過疎化しがちな町の人口の減少を食い止めている。町のメイン通りは
見事なまでに整備され、町の中に電柱が一本も立っていないのが印象的だった。

 町の役場も斬新なデザインで一見の価値がある。町には観光や宿泊を兼ねた施設もあり、
小さな町ながら住民の健康維持のためのプールもある。このプールは地下の熱源を利用して
いる。いわゆる温度差を利用したヒートポンプで水を温めている。また急流をせき止めて
小電力ながら水力発電も行っている。全ては石油に依存しない自然エネルギーの活用である。
こんな町なら住んでみたいと思う人も少なくないだろう。

 いま日本は都会と言われるところに人口が集中しすぎている。そのことが便利さだけで
なく所得の面でも格差を生んでいる。地方にも欠くことの出来ない若者は都会に集中し過ぎ、
それが地方の過疎化に拍車をかけ、過疎化が地方の産業の発展や農業の後継者不足を生んで
いる。ただ言えることは、こうした現象は決して日本だけの事ではない。大なり小なり各国
とも都会への人口の集中は避けられないことのようである。

 地方には都会にない空間的な広さと余裕がある。それは人間の心の広さ、ゆとりにも
通じることである。便利には違いないが都会には空間的な広さも余裕もない。従って心の
余裕も得にくい。出来れば田舎をもっと近代的なものにし、都会的な便利さと心の余裕が
両立出来るような場所にしたい。

 里山資本主義という言葉はNHK広島放送局が考え出したと言われている。藻谷浩介氏が
レポーターとなり様々な地域や事例を紹介している。その一つに先に紹介した岡山県の
銘建工業もある。

 私の考える里山資本主義とは地域経済の復活にある。その地で働きその地で収入を得て、
その地で生産されたものを食べ、その地で楽しいことを考え創造する。そして地域の商店が
潤い、地域の産業が活性化する。そこに雇用が生まれると言う図式である。

 必要なのは人も金も一極集中ではなく地方で回ることにある。つまり地域経済の復活である。
戦後しばらくはどこにでもあった経済である。今の経済は中央一極集中であり巨大なマネーは
中央に吸い上げられ、その金は巨大なマネーゲームに翻弄されている。何のための、誰のための
経済か良くわからない。

 今、必要なのはアベノミクスでもTPPでもない。規模は小さくても地方でお金が循環する
システムである。さほど難しいことは思えない。地方に住む者がこれは必要だ、これは必要ないと
取捨選択することだ。そこから地方経済復活の第一歩が始まる。

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