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尺八と横笛吹きの独り言

あの「猫バス」に乗ってみたいね・・・・ 

2013年12月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 押し詰まってまいりました。クリスマスまで9日になりました、マイカーもスタッドレスタイヤに履き替えましたが、こちらは天気が良い。年賀状の画像案はできたがまだ手つかずだ。
しかし日本列島は大寒波襲来。北陸・北日本は大雪だそうだ。
●金曜日の民謡練習会は尺八一人で孤軍奮闘。参加は12名ほど・・・・ 

●練習日での課題曲
秋田長持唄・津軽ワイハ・貝殻節・日光山唄(2尺)・大滝木挽き唄・秋田草刈り唄・相川音頭・東祖谷の粉挽唄(fue唄)・馬見原追分・日光山唄(2尺1寸)・淡海節・謙良節・吾野機織り唄・鱈釣り唄・両津甚句・日向木挽き唄・九十九里浜大漁木遣り唄(全員合唱)
●来週で今年の練習会は終了。来月26日(日)が市の民謡発表会。
各自、出場する正選手や今回出場しない方も含めて尺八は孤軍奮闘。良い刺激だ。
・大滝木挽き・・・・今度からこれを唄うらしい。久しぶりですが予想して、譜面は準備していた。竹ものは前奏を思いだして配線がつながれば6〜7割はこっちのものだ。
・津軽ワイハの前奏・・・・昔の勘を忘れた。出だしは三拍保持し、16分音符待って出る。
・日光山唄は正選手が当日欠席で影武者が出場。
・日向木挽きは9寸の裏吹き(2尺4寸)・・・・出だしが迷う。この方はほとんどが9寸の裏ですから迷う。
・「鱈釣り」は2尺3寸の1本ですが、演奏では違和感を感じて2尺2寸に替えた。
ここは「1寸違ってます」と言わずに・・・・「黙って尺八を替えた」。終わって帰り際に歌手に「1寸高かったね・・・・」・・・・「そうだったのね」・・・・波風立てずにこれでいいね。
・篠笛は「九十九里浜大漁木遣り唄」と「両津甚句」。両曲とも9本調子。
・正選手の奥様がご病気で、欠席の可能性大
・大腸癌で生死をさまよった方(73才位)も、手術成功で最近はめっきり元気に回復された。顔色がいい。膵臓癌の60才の三味線さんは急きょ亡くなってしまった。
奥様を亡くされた方も今日の会場に二人おられる。

 
●これが宮崎アニン「となりのトトロ」の妹メイちゃんだ。癒されるね・・・・
日曜日は孫の世話を爺様がやらなくてはならない日で朝から田無まで出かけた。
・・・・で孫と「となりのトトロ」DVDをまた見てしまいました。3〜4回は見ているね。
おトイレの指導、昼食の補助、お遊び、本読み・・・・娘が帰るまでのおよそ5時間が私のノルマ。孫も飽きてきて・・・・とうとう「となりのトトロ」をねだった。DVDの取り出し、取り入れも一人でできる。
孫も何回も見ているので「マックロクロスケ!」とか奇声を発する。よく見ているようだ
。何度見ても名作で新たな発見がある。
「トウモコロシ」や「オジャマタクシ」という幼児のへんてこりんな片言がいいねえ・・・・よく考えてつくってらあ・・・・
●メイ(草壁メイ)
草壁家の次女。4歳。姉のサツキと同じく親思い。努力家で聞き分けのいい姉とは対照的に、聞き分けが悪く言い出したら聞かない頑固な性格。幼稚園には通っていない。好奇心の強さや観察眼は姉以上で、初めて見た中小トトロを追ってトトロの棲家までたどり着いている。物語の終盤、家からかなり離れた母の入院先へトウモロコシを届けようとして迷子になってしまい、サツキがトトロの力を借りて探しに出ることになった。名前の由来は英語で五月を表すMayから。
トウモロコシをちゃんと言えずトウモコロシと言ったり、オタマジャクシをオジャマタクシと言ってしまったりする。またこの作品では何もない所でよく転んでいて、大雨の中では転んだ拍子に服が泥だらけになったりするなど、幼児らしい所をしばしば見せている。

 
●これがタイトルにあるアニメに出てくる「ネコバス」だ。乗ってみたいねえ・・・・
このネコバスがお気に入りだ。
自動ドアだ。行き先を示す「七国山病院」の字の「院」の字が逆になっているところが・・・・芸が細かい。行方不明の「めいチャン」を捜す場面ではネコバスの行き先が「めい」となっているのはいっそう楽しい。(やるね)
●ネコバス
身体がボンネットバスのような巨大なネコ。雄。ボンネットにあたる部分が頭で、背中が空洞になった胴体は柔らかな毛皮に覆われた座席になっている。爛々と光る眼がヘッドライト、額の両サイドのネズミがマーカーランプになっており、12本の足で水上、電線など、場所を選ばず風のように高速で走り、森の中を抜けるときは木々が脇に避けて道を空ける。トトロ同様、子供にしか見えないが、走り去る姿に犬が反応して吠え付いたり、送電線に留まっていた小鳥たちが接近に応じて飛び立つ描写がある。実際のバスのように行先表示窓(方向幕)があり、迷子になったメイの元に向く際は「めい」、サツキとメイがこっそりお母さんを見舞いに訪ねる際には「七国山病院」(本編では、「院」が上下逆になっている)、巣に戻るときは「す」など、状況に応じて行先が表示される。
●『となりのトトロ』
スタジオジブリ制作の日本の長編アニメーション作品。昭和30年代前半の日本を舞台にしたファンタジー。田舎へ引っ越してきた草壁一家のサツキ、メイ姉妹と、“もののけ”とよばれる不思議な生き物「トトロ」との交流を描く。

●「となりのトトロ」狭山丘陵との関連性について
作品の固有名詞には埼玉県所沢市から東京都東村山市にかけて広がる狭山丘陵の地名を元にしたものがある。また劇中、草壁家の引っ越しの場面で「狭山茶」の張り紙をした箱が登場する。
•埼玉県所沢市松郷・・・・
所沢市の東部、浦和所沢バイパス松郷交差点付近の地名で、草壁家が住む「松郷」のモデルとなったとされる。
・「牛沼」・・・・
埼玉県所沢市松郷に隣接する地区名で、ねこバスに表示される行き先「牛沼」のモデルとされる。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
●このアニメを見ていたら「松郷」(まつごう)という地名が出てきました。
fue殿は昭和49年頃・・・・いまから40年も前にこの松郷に3年間ほど住んでいましたとさ。
弱冠27才の時に庭もない小さな家を借金して買いました。豚や牛がいて農村風景。地盤が悪く水はけがよくない土地でした。すぐに浦和所沢道路ができて一変しました。




●無事に任務(孫の面倒)を終えて娘とバトンタッチ。これからが自由だ・・・・
fue殿は以前から気になっていたここから近隣の「江戸東京たてもの園」の見学だ。
敷地が7haという広さ。広すすぎてとてもユックリとは見ていられない。
●写真は昭和30年代後半の状況を再現した小寺醤油店 - 出桁造りの商家だ。
日本酒、味噌、醤油を量り売りしていた。映画のワンシーンのよう・・・・
移築するのは大変だったろう。
こうして失われれゆく歴史的な建物を残しているのことは大切なことだ。

●江戸東京たてもの園
失われてゆく江戸・東京の歴史的な建物を移築保存し展示する目的で東京都小金井市の都立小金井公園内に設置された野外博物館。東京都墨田区にある東京都江戸東京博物館の分館である。指定管理者制度により、東京都歴史文化財団グループ(公益財団法人東京都歴史文化財団、鹿島建物総合管理株式会社、アサヒビール株式会社の共同事業体)が管理・運営を行なっている。
小金井公園には1954年から1991年まで、古代住居や江戸時代の農家を移築・展示する武蔵野郷土館があったが、江戸東京博物館の開館に合わせて、武蔵野郷土館を拡充する形で1993年(平成5年)3月に開園した。高い文化的価値がありながら現地保存が困難となった江戸時代から昭和初期までの30棟の建造物を移築復元し展示しており、開園20周年となる2013年(平成25年)3月に最後の1棟となるデ・ラランデ邸の移築復元が完成した。
・私が高校生の頃(ここから近くにある都立小金井校工業高校の卒業)は武蔵野郷土館といって縄文弥生時代の家屋が復元されていた。マラソン大会の練習でここの公園まで走ってきた覚えがある。

●高橋是清邸 - 二・二六事件で暗殺された政治家・高橋是清の邸宅。明治35年(1902年)落成。総栂普請。和風邸宅に窓ガラスを使った初期の事例である。是清はこの建物の2階で暗殺された。
見応えがあった。広い邸宅。是清が暗殺された建物の2階・・・・重々しい空気。
庭が広い。



●万徳旅館 - 青梅市西分町の青梅街道沿いにあった旅館。建物は創建当初の様子を、室内は1950年頃の様子を復元している。
青梅市に住んでいましたので青梅市西分(にしわけ)町の青梅街道沿いにあったこの旅館は見たことがあるかも知れない。入り口に入ると当時の様子がわかる。風呂は縦型の桶状の木製風呂だった。

●高橋 是清(たかはし これきよ、1854年9月19日〈嘉永7年閏7月27日〉 - 1936年〈昭和11年〉2月26日)は、日本の幕末の武士(仙台藩士)、明治、大正、昭和時代初期の官僚、政治家。立憲政友会第4代総裁
当時、リフレーション政策はほぼ所期の目的を達していたが、これに伴い高率のインフレーションの発生が予見されたため、これを抑えるべく(出口戦略参照)軍事予算の縮小を図ったところ軍部の恨みを買い、二・二六事件において、赤坂の自宅二階で反乱軍の青年将校らに胸を6発撃たれ、暗殺された。享年82(満81歳没)。葬儀は陸軍の統制によって、1か月後に築地本願寺で営まれた。

 
●子宝湯 - 足立区千住にあった宮造りの銭湯(1929年建築)。
「千と千尋の〜」の油屋のモデルになった。
宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』(2001年)の作画には、たてもの園の銭湯や下町の商家建築のデザインが参考にされた。


●これはその「子宝湯」での銭湯に飾られてあった大正期の女湯の画像だ。
興味があり・・・・パチリ。(盗撮でないよ)
女湯の状況がよく観察されている絵だ。
男性ではなかなかこういう状景はわからない。
乳を飲ませる親子の風景や当時の銭湯の生活感が出ていていい。
大正期の千住の銭湯の様子がわかる。
千住遊郭跡は先日行ってきたところだ。

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