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野次馬評論
石原新太郎氏三つの大罪
2013年12月26日
テーマ:テーマ無し
いつの歯切れの良い語り口で、一般受けしている石原新太郎氏であるが、この所、誰も止めようとしないことを言いことに、暴言や横車が目立つ。殊に気になった3つの罪について書いておく。 一つ目はこのひとつ前のブログにも書いたが、尖閣諸島を東京都が買うと、突然に言い出したことから、(ほんとはほおって置いた方がよかったと思うが)当時の民主党政権では、国が買うと言いだして、中国を怒らせてしまった。元々、尖閣の領有権については中国とは「棚上げ」することで、円満に解決していたのに、我国は中国とのどのような交渉も経ずに、「我が国の領土だ」と宣言したのだから、相手は起こると思う。その元凶を作ったのが石原氏である。 二つ目は維新の会について、橋下氏が行政改革を旗印に立ち上げ、大阪府・市の効率的な運用システムの構築を軸に、大きな成果を上げ、将来の国の行政改革まで託せるのではないかと、多くの国民が期待し、大きな盛り上がりを見せていた。そこへ、その人気に乗ろうと石原氏が、まるで違う政策にも拘らず、維新の会に流れてきたことで、すっかりその結党の趣旨から外れて、何をやる党なのか分からなくなってしまった共に、維新の家への人気も一気に萎んでしまう結果となってしまった。(なぜ橋下氏が石原氏と組んだのか、未だに分からない)結果として、石原氏は維新の会を完全に壊してしまった、と同時に国民の関心も覚めてしまったのである。 三つ目は猪瀬都知事の辞任である。確かに猪瀬氏も易々と政界の泥にまみれて、5000万と言う大金を動かしてしまったことは大きな落ち度である。しかし、石原氏が都知事を退き、猪瀬氏に繋ぐとき当然ながら徳田氏からの金をアドバイスしていたと思うし、と言うことは自分が知事時代も多額の金が動いていたと想像されるが、その延長で猪瀬氏に指南したのではなかろうか。 たまたま、徳田衆議院議員の選挙違反に関連して、家宅捜査が入ったので、猪瀬氏にわたった金まで炙り出してしまったが、普通だと何事も起らなかったはずである。いまここで、不正な金を受け取ることが「いい」と言わんとしているのではない。金など使う必要のなかった猪瀬氏に、石原氏は変な入れ知恵をして、結果として彼を窮地に陥れたことになる。何度か石原氏に相談をしたようであるが、最後は切られてしまったわけである。猪瀬氏のような優れた行政マンを失ったことは大変残念である。
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