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「ヤブツバキの謎」 

2014年01月02日 ナビトモブログ記事
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  北海道の渡島半島(おしまはんとう)と津軽海峡を挟んで向き合うのが青森県の津軽半島と下北半島である。

津軽海峡に沿って動植物分布の境界線が東西に横切る。この線の提唱者の名を取って、ブラキストン線あるいはブラキストンラインという。

 その提唱者とは、イギリスの動物学者のトーマス・ブラキストンである。ブラキストンは、動物学者のほかに、軍人、貿易商、探検家の顔も併せ持つ。幕末から明治期にかけて日本に滞在した。彼は、日本の野鳥を研究し、津軽海峡に動植物分布の境界線があるとみて、それを提唱した。

ブラキストンラインを南限とする種がヒグマ、エゾシカ、エゾシマリス、ヤマゲラ、シマフクロウなどである。

 逆に、ブラキストンラインを北限とする種に、ツキノワグマ、ニホンジカ、ニホンザル、ライチョウ、ヤマドリ、アオゲラがある。

ブラキストンラインを北限とする植物で代表的なものは、ツバキ・椿である。

 北海道の渡島半島と津軽海峡を挟んで向き合う青森県の津軽半島と下北半島。その津軽半島と下北半島に囲まれて陸奥湾が位置する。
 陸奥湾を望む小さな半島が夏泊(なつどまり)半島である。夏泊半島の北端に椿山がある。そこは、椿神社の境内一帯であり、面積約17ha、海抜5〜160mの丘陵地で、風致保安林に指定されている。
 海岸に面した傾斜地にヤブツバキが群生している。

 ヤブツバキは、日本の南部から中部にかけて分布しているが、東北地方に行くにしたがって少なくなり、夏泊半島北端の椿山をもって分布の北限としている。すなわち、ここの椿が北限のツバキである。

 青森県東津軽郡平内町にある椿山は、ツバキが自生する国内の北限地帯で、国の天然記念物に指定されている。海岸に面した傾斜地を1万数千本のヤブツバキが覆う。国の天然記念物に指定されたのは、1922年(大正11年)10月12日である。 今から、90年以上前のことだ。


 「北限のツバキ」をテーマとして、ネットサーフィンをしていたら、「夏泊と男鹿・北限のツバキの謎」というブログ記事がヒットした。

 その要旨を以下に掲げる。

@ 青森県夏泊半島の椿山と、秋田県男鹿半島の能登山は、共に1922年(大正11年)10月12日、「ツバキ自生北限地帯」として国の天然記念物に指定された。

A ここで興味深いのは、夏泊半島と男鹿半島は、200kmも離れた土地でありながら、どちらも北限地帯として一括して指定された点だ。

B 普通に考えれば、夏泊半島の方が緯度が高いので、男鹿半島まで指定されるのは不思議であるし、北限「地帯」と広範囲を指定するほど、連続性は全くない。

C そこで想像したのは、次の3つだ。

ア 当初男鹿半島だけ知られていて、指定直前になって夏泊半島にあるのが発覚した。男鹿には指定の通達をしていたために取り消しできず、2か所同時指定となった。

イ 夏泊半島の指定に対し、秋田県が強力に陳情して追加指定となった。

ウ 当時、文部省の役人にとって、青森も秋田も岩手も本州最北の地ぐらいの認識しかなく、双方近いだろうから、「北限地帯」としてどちらも指定することにした。

D ウが正しいかなと思っているが、他にも説があったら、お聞かせ願いたい。

 このブログ記事の書き手の方は、なかなか鋭い考察力の持ち主である。が、ご指摘のイはあり得ると思うが、アとウは、考えにくい。

 特に、ウの「当時、文部省の役人にとって、青森も秋田も岩手も本州最北の地ぐらいの認識しかなく」とは、考え難い。なぜか。「ツバキ自生北限地帯」の指定は、大正11年(1922年)10月12日で、明治維新の1868年から50年以上も経っている。

 明治時代であれば、薩長藩閥出身の文部省の役人にとって、青森も秋田も岩手も本州最北の地ぐらいの認識しかない、とは言えるだろう。

 しかし、明治維新の1868年から50年以上も経っている、大正11年(1922年)10月12日の指定だ。いくらなんでも、当時の文部省の役人が青森も秋田も岩手も一緒くたにするほどに馬鹿ではなかろう。


 「夏泊と男鹿・北限のツバキの謎」というブログ記事の書き手の方は、「他にも説があったら、お聞かせ願いたい」とおっしゃっている。

 そう願われれば、答えずばなるまい。そこで、更にネットで調べてみた。そうしたら、分かってきた。

 秋田県男鹿半島の男鹿市では、能登山のほかに、北岸の畠地区にヤブツバキの群落がある。また、秋田県では、平成18年3月に八森町と隣接している峰浜村との2町村合併により八峰町となったが、旧八森町にもヤブツバキの群落が存在する。

 ヤブツバキの群落は、日本海に面して秋田県八峰町に隣接する青森県深浦町でも見られる。とりわけ、深浦町の舮作(へなし)岬の椿山は、能登山のヤブツバキと比べて自生規模も遜色ない。

 ここまでの情報を以下にまとめる。

@ 日本海側の秋田県男鹿半島の男鹿市では、能登山にヤブツバキの群落があり、大正11年(1922年)10月12日に「ツバキ自生北限地帯」に指定された。
 男鹿市には、能登山のヤブツバキのほかに、北岸の畠地区にヤブツバキの群落がある。

A 日本海側の男鹿市より北に位置する秋田県の旧八森町にもヤブツバキの群落が存在する。

B 秋田県より北に位置する青森県。青森県の日本海側の深浦町は、秋田県の旧八森町に隣接し、深浦町舮作岬の椿山には、能登山のヤブツバキと比べて遜色ない規模のヤブツバキが自生している。

 つまり、日本海側では、秋田県男鹿市から北方の青森県深浦町にかけて、「ツバキ自生地帯」が存在する。
 これらは、日本海側における「ツバキ自生地帯」とみる価値がある。日本海側にあることと、互いの距離の近さという理由づけが可能だ。仮に、日本海「ツバキ自生地帯」と呼称する。

 日本海「ツバキ自生地帯」のほかに、更に北に位置して、青森県夏泊半島の椿山にも見事な「ツバキ自生地帯」がある。仮に、陸奥湾「ツバキ自生地帯」と呼称する。

 「北限のツバキ」をテーマとするとき、誰が見ても、陸奥湾「ツバキ自生地帯」が「北限のツバキ」だ。

 しかし、見事な陸奥湾「ツバキ自生地帯」を「北限のツバキ」として指定し、それだけにすれば、日本海「ツバキ自生地帯」の見事さに応えることができない。

 そこで、当時の文部省の役人は考えた。

 「北限のツバキ」としては、陸奥湾「ツバキ自生地帯」と日本海「ツバキ自生地帯」を指定したい。
 しかし、陸奥湾「ツバキ自生地帯」と日本海「ツバキ自生地帯」を併記して「北限のツバキ」とすると、各方面からクレームがくるのは必至だ。
 目立たないように、青森県のツバキ代表として青森県夏泊半島の椿山、秋田県のツバキ代表として秋田県男鹿半島の能登山を、同時に指定してしまう。

 
 同時指定から90年以上が経過した。この間、青森県夏泊半島の椿山も、秋田県男鹿半島の能登山も、「ツバキ自生北限地帯」として、人々から愛され続けている。誰も、特段のクレームをつける人はいない。

 なお、陸奥湾と日本海においての「北限のツバキ」がテーマとなっているが、太平洋側のツバキの北限はどうなの?と指摘する向きがあるかもしれない。
 これについては、岩手県沿岸南部の大船渡市が太平洋沿岸としては日本に自生するヤブツバキの北限である。
 岩手県南部の大船渡市は、青森県夏泊半島や秋田県男鹿半島に比べ、ずっと南に位置することから、大船渡市のヤブツバキについて、「北限のツバキ」指定をうんぬんする人は、一人もいない。
 

 以上、「夏泊と男鹿・北限のツバキの謎」というブログ記事の書き手の方に応えるべく、自説を展開させていただいた。
 私には、自分の説明に自信がある。しかし、なにせヤブツバキに関する北限のツバキの謎であるから、真相のほどは、ヤブの中である。


 
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つばき

さん

一般に言われる椿とやぶ椿の違いがわからず、ネット検索すると、
やぶ椿は野生種、自生している椿なのですね。

北海道も私の生まれ故郷の内陸部では見られないので基本、北海道で椿は育たないのでしょう。
初めて椿を見たのは40年前の松前さくら祭り会場。

椿も当地では庭木として植えられているのを多く見かけます。
ブラキストンラインの石碑も函館山にありますしね^^

2014/01/03 11:09:30

諸説には!

良香さん

 あけまして おめでとうございます

 良くお調べになられていらっしゃいますね!
拝読させて頂く度に、毎々敬服致しております。

 伝承に近い物事には、必ずと言っていいほど、諸説は付き物ですね!
私も、調べ物をしていて諸説のいい加減さ、あやふやさに戸惑い、結論が導き出せず終いと言う事も度々あります。

 初めてのブログ『山茶花(晩秋の花)』にも記しましたが、椿の花 特に藪椿に魅かれております。
日々、心掛けている事に
”辛抱強さを左手に、潔さを右手に、ボランティア精神を心に!”
ですが、中々実行出来ずにおります。

今年も、どうぞよろしくお願い致します。

2014/01/03 04:53:37

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