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平成の虚無僧一路の日記

大須演芸場の復活なるか 

2014年02月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「大須観音」と信長ゆかりの「万松寺」との間に広がる
「大須商店街」。私が名古屋に来た20年前は、お年寄り
しか行かず、シャッター通りになりかけたていたが、
「コメ兵」や「アメ横」が出店して、奇跡の復活を遂げた。
今は若者の町に変身。人は増えたが、虚無僧も立ち場所が
なくなった。

逆風は虚無僧だけではない、大須観音の東隣りにある
「大須演芸場」も、ついに閉鎖の憂き目となった。 

大須演芸場は1962年に建てられ、多くの落語家、
漫才師、演芸家が舞台に立ったが、半世紀、何度も閉鎖の
危機に見舞われながら、なんとかしのいできた。

木造2階建てで、座席数は約250席。古今亭志ん朝、
ビートたけし、明石家さんまも出演したことがある。
楽屋の化粧台の裏側には、1975年に「明石家さんま」が
出演した時の落書きが。「今日も客なし 明日は?」と
書かれている。

この世界で「つ離れ」というのだそうだ。「一つ、二つ、
三つ」と「九つ」までは「つ」が付くが、「10」には
「つ」がつかない。お客が10人はいると「つ離れ」。
これでは出演者にギャラも払えない。

こうして半世紀、いよいよ閉鎖と決まると、連日満席、
立ち見の客も出るほどだったとか。
昨年、「御園座」が閉鎖になった時も、連日大入り
満員だった。

東京上野人形町の「末広亭」は1970に閉鎖となった。
私も「末広亭」に前座で出演したことがあった。その時も、
お客さんは10名ほど。私が呼ばれたのは、客を連れてきて
欲しいためだったのだと後で解った。

劇場はどこも経営難。「経営努力が足りない」と言うが・・・。
「カレーのCoCo一番」の創業者「宗次」氏が創設した
「宗次ホール」は、毎日、昼夜2回、年500公演を
めざして、さまざまな企画、音楽家の発掘を行っているが、
それでも赤字という。吉本興業でさえ、劇場を閉鎖している。


さて、そこへ本日、美容整形外科「高須クリニック」の
「高須克弥」院長が、大須演芸場の救済に名乗り出た。

大須演芸場の賃料滞納金約1000万円と、一年分の
賃料240万円を肩代わりするという。高須氏は愛知県
西尾市の出身。

高須氏は、「志の高い席亭さんの奮闘努力の甲斐もなく、
力つきた大須演芸場。全ての病根が明らかになったぜ。
いまからカンフル注射して生き返らせるぜなう」と
ツイート。

さて、どのような再生術があるというのだろうか。
それこそ“見もの”。

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