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人生いろは坂
善と悪
2014年02月11日
テーマ:テーマ無し
どうやらこの世の中は善とか悪とかで単純に割り切れるものではないらしい。というか、そもそも善とか悪とかと言う基準こそ人間が
観念的に作り出したものかも知れない。また善と悪は観念的なものであり、受け取る側の考え方でかなり変化するもののようでもある。
一方、仏教では勧善懲悪を説いている。人は善行を積むことによって天国へ行くことが出来、悪行に走った人間は地獄に落ちると
説いている。しかし、その天国や地獄のあり様を現代人のほとんどは知らない。また知っていても、そんな馬鹿なと一蹴してしまう。
私たちが子供の頃までは年長の人から「悪いことをしたら神様が見とるんじゃけえ」と諭され、悪いことはしてはいけないと心に誓い
この言葉をブレーキ代わりに行動を戒めてきた。今の子等にこの言葉は、神様の存在なるものは通じるのだろうか。
今でもキリスト教などを信仰している人の心の中にはイエスキリストや天上の神がいるようだけれど、おおよそ神も仏も信じなく
なった現代の日本人にはピンとこない。また神を騙って戦争をしたり、自分の私利私欲のための悪行を重ねている人も少なくない。
善行だ悪行だと言っても漠然としていてピンとこないし、善と悪との境目などあるのだろうか。しかし、悪行には走りたくない。
近年、人の意識に関する研究が科学的(?)に行われている。今までは、死んでしまえば全ては消え去ってしまうものと考えられて
いた。しかし、数々の臨死体験や生まれ変わりの話などを聞くにつけ、人間の魂なるものは肉体を離れても形を変ええて存在し続ける
のではないかと考えられるようになってきている。
たかだか百数十年程度の科学の力で、この壮大な宇宙の全てなど分かろうはずがないのである。この世は謎に満ち溢れている。
従って善人だ悪人だと言った単純な区別ではなく、もっと奥深いものが人間の行動として表れているのが、この世の有り様では
ないかと思われるのである。
もし裏と表があるとしたら実体験として感じている世界は、実は裏世界であって、その反対側に表世界があるのかもしれない。
そもそも実体験だと感じている世界も虚構のものかも知れないのである。全ては自分の作りだした世界かも知れないのである。
とすれば善人は善人の世界を、悪人は悪人の世界をあたかも現実のものとして体験しているのかも知れない。
心安らかな夢のような世界に生きようと思えば、まずは自分自身の意識をその方向に向けなければならない。意識を変えずに
その方向へ向こうとしても無理な話だ。病気の事ばかり気にしていると病気になってしまう。これを昨今では引き寄せなどと
言っている。悪いものを引き寄せないためには夢のような楽しい世界をイメージし続けることが必要だ。
病気から逃れようと病気の事ばかり考えていると、なかなか病から抜け出せない。どうせこの世はなるようにしかならない。
みんないつかは死んでしまうんだと気楽に構えていると自然に病気は遠ざかって行ってしまう。そう思うのである。現に笑い
ヨガや落語や漫才で思いっきり笑ったあとでは免疫力が上がっていることが立証されている。
肉体を支配しているのは精神である。言い換えれば意識であり魂である。従って、体を癒す前にまずは自らの心のあり様を
変えていかなければならない。人間は肉体と言う皮を借りた精神である。いつかは肉体と言う皮を脱ぐときが来る。これは誰に
でも来ることだ。どんなに大金持ちや有名人だとしても人間としてこの世に生を受けたものは逃れることの出来ない宿命である。
宿命などと大げさに考えることでもない。当たり前のことだ。従って、人のことを羨ましがる前に自分自身をどう生きるか
考えた方が良い。他人は他人、自分は自分なのである。決して他人の人生を生きることは出来ない。
善と悪、そんなスケールの小さいものではないものが、この宇宙にはあって、その圧倒的に大きな存在の中から表面に浮かんで
きた泡粒のような存在が個々の意識かも知れない。むろんこの意識の塊の中には他の動物や植物たちの意識も集合されている。
しかし、その存在が明らかになるのは遠い未来のことになるだろう。今はただ淡々と生きること、淡々と生きて死んでいくだけで
ある。次回は私の親友である「マヌー」さんから貰った年賀状を紹介したいと思っている。
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