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人生いろは坂
あれから三年
2014年03月12日
テーマ:テーマ無し
早いもので東日本大震災から三年の歳月が流れた。被災者の皆さんにとっては忘れようとしても忘れることの
出来ない長い時間だったことと思う。日本列島の形が変わるほどのひどい地殻変動。そして繰り返し襲ってくる
大災害。この奇妙な形をした列島の宿命かも知れない。
今までにも幾度ども体験してきた大規模災害ではあるが、人の活動が最も盛んな時間帯に目の前で起こり、
それはリアルタイムに報道された。このような災害を映像で見ることが出来たのは人類史上初めての体験であった。
その映像は国内だけでなく瞬く間に世界中に広がった。あの月世界着陸の中継と同じように、世界中の人が
大規模災害の恐ろしさを同時に体験をしたことになる。
日本人はともかく他国の人はどのように感じたのであろうか。大震災に続く福島第一原発の連続爆発事故、
あり得ないことが相次いで生じ、多くの外国人は急いで日本を後にした。放射能被害を恐れての退去であった。
あれから三年、今も復興は続いている。現地の人たちにとってはかばかしく進まない復興にいら立ちは隠せない。
また、半ばあきらめたような言葉も聞かれる。被災者の中には若い人ばかりではない。多くの高齢者も少なくない。
こうした人達にとって再建の道は更に遠い。わが身に置き換えて考えてみた時に、体力、気力がないと、もう一度
人生をやり直すことなど大変なことだと思う。どうか頑張ってほしい。必ず次の展開が待っている。
あの阪神淡路大震災の時でさえ七年以上の歳月を要している。焦らず気落ちすることなく頑張ってほしい。そして
自分の人生は自分で切り開いていくしかない。みんな様々な人生を背負って生きている。
亡くなった人、生き残った人の人生を分けたものは何だったのだろう。大津波が後を追いかけてくる。それから
逃れようと自家用車のハンドルを切った人、その後は波が覆いかぶさって視覚から消えてしまった人。そうした人の
中にも幾人もの人が生還している。そして、その時の体験を生々しく語っている。お互いの生死を分けたものは
何だったのだろう。運命としか言いようのない出来事が様々なところで起きていた。
私たちは何かの力によって生かされている。そのような気がしてならない。生き残った者は災害の体験者であろうが
なかろうが生きることに徹しなければならない。命を粗末にしてはならない。生かされていることに感謝し自分の人生を
正しく生き抜かなければならないと思うのである。
復興への道は遠い。今やるべきは将来に備えての大土木工事を行うことより、私たち自身の心の中に強固な堤防を築く
ことだ。その堤防は地域の絆と言う堤防だ。
自助、共助、公助という言葉がある。防災上の言葉である。自助とは自ら自分の命を救うために起こす行動である。
共助はお互いに助け合うことである。阪神淡路大震災の時に公助は大きく遅れた。公務員の多くが被災者であり
公共交通機関が機能しなかったことによる。待っていても来てくれない消防より近所の人たちがいち早く下敷きに
なった人たちを助け出す。
共助は日ごろからの連携がなければ出来ない。どこにどんな人が住んでいて、その人はどんな暮らしをしているか
一人住まいなのか家族はいるのか等々、古き良き時代の「向こう三軒両隣」の様な人間関係が日ごろから出来て
いること。それこそが人と人の絆である。絆こそどんな堤防より強い。これは今回の被災者の方の重い言葉である。
今こそもっと人と人の繋がりを密にしていかなければならない時代だと実感している。
次にどこが被災地になるか分からない。そして世は国内外を問わず騒然としている。人類史上における大きな転換点に
あることを実感せざるを得ない。何かが変わろうとしている。その何かに向かって好むと好まざるとに関わらず突入して
いる。人生は糾える(あざなえる)縄の如し、一喜一憂することなく自分は自分に宛がわれた人生を生きることに徹したい。
禍福は糾える縄の如しの解説・・・・ネット上に、このことわざにふさわしい回答があったので掲載してみます。
幸せと不幸せは常に隣り合わせ。
幸福が来たと思っていても、それは不幸のきっかけで、不幸がやってきたり、
不幸が来たと思っていてもそれは実は幸せの前兆であって、幸せがやってきたり・・・、
人生には幸せと不幸が隣り合わせでやってくるものだから、幸運が来たと言っては大いにはしゃいだりせず、
その後に来る不幸に備えて身を慎み、不幸が来たと言って激しく落ち込んで自暴自棄になったりせずに、
風向きが来るのを待てと言ったような意味。
同じようなことわざに「人間万事塞翁が馬」があります。
>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)
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