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人生いろは坂
春が来た
2014年03月17日
テーマ:テーマ無し
先日の未明の地震には驚いたが、ここのところ実に穏やかな朝だ。窓の外からは時々鶯の鳴き声さえ聞こえてくる。
一昨日は鷲羽山で瀬戸内海国立公園指定80周年の記念イベントが行われた。私も午後からのパネルディスカッションに
パネラーの一人として招待を受け、観光地としての現状と今後について意見を求められ、私なりの意見を述べてきた。
10年ほど前、旅客船に乗って多くの国々を回ってきた私としては、他国の良いところもたくさん見てきたけれど
この瀬戸内海の優美さは決して他国に勝るとも劣らないと思っている。海から陸側を眺めるのも良いし、鷲羽山の様な
適した高さから眺める瀬戸内海の景色も良い。また鷲羽山からの多島美とは対照的な児島湾を囲むようにして隣接する
王子ヶ岳からの雄大な眺めも良い。
いずれにしても自然が作り出した美しさである。近場にありながら意外にもこの観光地を知らない人も多い。
また、せっかく鷲羽山まで来たのに山頂からの景色を楽しむ人が少ないのも残念である。瀬戸内海国立公園は実に広い。
瀬戸内海を囲むように向かいの四国から果ては九州近くまで広範囲な国立公園である。
しかし、国立公園としての指定のきっかけとなったのは、実は鷲羽山から見下ろす海と多島美にあった。このことを
考えると観光スポットとして向かいの屋島や小豆島など様々にあるが、何と言っても群を抜いているのは鷲羽山の
133メートルと言う高さから眺める景色であろう。
海は四季を通じて様々に表情を変える。また潮の流れが速いこの海域一帯は時間によって様々に表情を変化させる。
それは太陽の光と島々の間を縫うように流れる潮の流れが作り出す模様による。このことは観光に来た人に説明して
あげないと分からない。地元にいるものだけが知っているとっておきの情報である。
そして見下ろす海域に点在する大小様々の島々にもそれぞれの歴史がある。それは本島の塩飽海軍の話であったり
藤原の純友の乱であったりする。また源平合戦もこの周辺海域一帯で行われた戦であった。
古くは北前船が大船団を組んで下津井港に錨を下ろしたこともある。船団が入港すると近郷近在から女子衆がかき
集められ、紅白粉のにわか芸者や酌婦に仕立て上げられたと言う伝説まで残っている。今は土に埋められてしまった
「まだかな橋」と言う場所も荷卸しのまだ済まぬ船乗りたちに早く降りて遊びに来いと誘った場所だと言われている。
「まだかいな」「まだかいな」と遊女達の声が聞かれた場所である。
下津井こそは単なる漁村ではなく商人が算盤片手に商いに明け暮れた街であった。荷揚げされた大量のニシンを
乾燥させたものは近郷近在の豪農に引き取られていった。全ては綿作の肥料であった。
このように遠く北海道と裏日本各地の港、そして下津井港は結びついていたのである。後には豪商たち自らも船を
建造し遠くカムチャッカ半島にまで商売に出かけたのである。
このように鷲羽山とその麓に広がる港は人々の生活の息遣いが分かる街として発展し、更には陸運の発展とともに
衰退していった。今は家並みだけが往時を偲ばせるように幾つも残っている。これらを一方の観光の柱としながら
これからの観光を考えていきたい。
庭では沈丁花の匂いでむせ返るようである。そしていち早くサクランボの白い花が開き一挙に季節は春に突入する。
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