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人生いろは坂

がんばらない生き方1 

2014年04月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 終戦後の廃墟の中から日本は奇跡とも言われるほどの復興を遂げてきた。ひとえに日本人の生真面目さと勤勉さが
復興を成し遂げた。と同時に日本人は他国に比べ特徴的とも思えるほどチームプレーに優れていた。仲間に迷惑を
かけたくないと言う思いは集団で仕事をするときに発揮される。これはオリンピック競技の体操やスキーのジャンプ
競技などの際に発揮されてきた。

 ちなみに隣国の中国では正反対の個人主義の国だ。幾多の政争や国家の混乱にも関わりなく中国人はたくましく
生き抜いてきた。ちなみに中国人は秦の始皇帝に始まって幾多の皇帝に仕えてきた。その中には異民族による支配も
少なくなかった。一口に中国と言っても国土は広い。様々な民族の融合国家だ。それだけに統制も難しい。常に内紛を
伴ってきた。中央政権に腐敗や弱体化が進むと地方勢力によって破壊され、破壊の中から新たな支配勢力が生まれてきた。

 従って、国家に対する帰属意識は生まれにくかった。自分たちは自分たちで生きていくと言う国家に頼らない生き方が
当たり前であった。それ故に国を守ると言う意識は日本人とはまるで異なる。全ては自分の利害関係によってことは運ぶ。
自分に利があると思えば国の体制とは関係なく時の政府を応援する。従って今は利がある共産党政府を支援している。

 中国の富裕層の資金がどんどん国外に流出していると言われている。利にさとい中国人特有の経済観の表れであろう。
そして共産党幹部の子弟までもが海外移住を考え行動しているようだ。不思議に思うのは共産主義とは正反対の国家である
アメリカ合衆国に幹部の子弟がたくさん留学していることである。共産党国家を守るべき国の幹部が子弟の勉強の場を
敵対国であるアメリカに行かせているのである。これも歴史的な中国人の気質を考えれば不思議なことではない。

 日本人の目から見ればまるで矛盾だらけの行動も中国人の長い歴史から見てくると何ら矛盾ではない。彼らにとって
利のある方になびくと言う単純な行動なのだ。やがて成熟しきった時、共産党国家はどこへ向かうのであろうか。
経済とて今のまま成長を続けるとはとても考えられない。

 中国の経済発展は日本の技術などを多く取り込むことによって発展してきた。その技術は技術供与もあったかもしれないが
労働市場を提供すると言う名のもとに日本から掠め取ったものが少なくない。きちんとした契約を結んでいても一年もたたない
内に技術を供与した会社とは全く別の会社にその技術が渡っていたと言う事例も少なくない。

 今は中国から引き上げたいと思っている会社も少なくないと聞いている。現に早々に撤退しベトナムやインドネシアに
拠点を移した日本企業も少なくない。市場が巨大なだけに魅力も多いが、それだけにリスクも多い。

 こうした中国と付き合うにはそれ相応の覚悟が必要だ。今は尖閣問題で注目を集めているように見えるが、実のところ
中国人の多くの関心事は自分の資産をどのように増やすか。時の政府をどのように利用して自分の資産を増やすか。全ては
それだけである。従って尖閣問題は政治的な腐敗や失敗を覆い隠すために時の政府が大衆の目を逸らすために利用している
手段に過ぎない。そして同じような事情は日本側の政府にもある。中国人と日本人同士が敵対しているわけではない。
政治が利用しているだけのことである。そこのところを理解していないと国際問題は判断を誤る。

 日本人は戦前、国を挙げて太平洋戦争へのめりこんでいった。日本人は中国人に比べれば滅私奉公という言葉に代表される
ように、わが身を犠牲にしてでも国を守ると言う尊い精神がある。国を捨てて逃げていくなど考えられない国民である。
しかし、その考え方が災いを及ぼす場合がある。それが太平洋戦争突入の前後の姿ではなかろうか。国民もマスコミに
あおられるままに戦争は必然だと考えるようになっていた。マスコミが世論操作し、その世論操作によって国民が湧きたち、
更にマスコミを煽ると言う連鎖の構造が出来ていた。最早、国家の指導者の誰が頂点に立っても国民を抑えることは
出来ないまでになっていた。

 こうして抜き差しならない、そして一分の利もない破滅的な戦争へと突入していった。日本人と言う世界に類のない集団が
国をして自己破滅へと突入していったと言う他はない。日本人と中国人、まるで似て非なる隣人同士が海を隔てて対峙している。
戦争に意味が見いだせない。国民の見ている方向がまるで異なる国家である。憲法をないがしろにしてまでも有事の際の出動が
必要な状況なのだろうか。

 ハンガリーへ旅行した時のエピソードを一つ紹介しておこう。東ヨーロッパにありながらハンガリーは古くから遊牧民の
血を引く民族である。従って東洋人にはことのほか親密感を抱いている国民である。このハンガリーの人が言うには日本人は
好きだが中国人や朝鮮人は嫌いだと言うのである。日本人であれば誰かれなく肩を抱くように親密の情を現すが中国人に
対しては唾を吐きたくなるような嫌悪感を感じると言うのである。あながち日本人の旅行者に対してだけのお世辞とも思え
なかった。ハンガリー人の目から見て同じ東洋人でありながら何らかの違いを感じているのであろう。

 さて話は大きく横道へ逸れてしまった。「頑張らない生き方」を書こうと思っていたところである。もし日本人が中国人の
ような考え方をしていたら国はどうなっていただろう。恐らくは古くからそうであったように国家にとらわれないもっと自由
闊達な行動ができるような国民になっていたに違いない。あるいは日本と言う国家も存在しなかったかも知れない。

 今遠く離れた島や大陸の各所で縄文土器らしきものが次々に発見されている。果たして縄文人たちは海と言う世界各地へ
通じている交通路を巧みに利用して世界中へ進出していたのかも知れないのだ。海にさえぎるものは何もない。海を渡る
技術さえ持っていれば陸地をゆくよりはるかに楽だ。

 恐らく日本人の遺伝子が各所に点在しているに違いない。倭寇の伝統以前から日本人は船を巧みに操って東南アジア方面
まで進出していた。当時の日本人の世界観は現代人とはまるで異なっていたのではないだろうか。それらは縄文の時代から
連綿と受け継がれてきたものに違いない。だからこそ、その後も中国へ渡り、また朝鮮半島からも多くの渡来人が海を渡って
やってきた。と言うより渡来人と言う表現すら誤った見方かもしれない。日本国と言う国が出来て間もなく百済人を救うために
大船団を組み海を渡っている。それだけの造船技術を有し航海術にも長けていた。それは縄文時代から培われたものだと
思われる。

 海を利用して縦横無尽に世界を駆け回る、そんな時代の日本人は狭い国土の中で鬱々として晴れない日々を過ごしている
現代人とはまるで異なる民である。そんな大らかだったはずの民が何で今のような姿になってしまったのであろうか。
戦後復興と言う大事業を成し遂げ成熟した国になった今、日本人は進むべき方向を見失っている。それが心晴れない今日の
生き方になっている。そうした政治や社会状況を次のブログでは考えてみたい。

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