メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

人生いろは坂

寛平大宝 

2014年04月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 私の手元には小さな古銭がある。寛平大宝という名前の古銭である。この古銭とは不思議な縁で結ばれている。
そのいきさつは私が小学生だった頃に遡る。当時、子供たちの間では切手の収集が大ブームであった。雑誌には
「見返り美人」だの「月と雁」だのと、大型の珍しい切手が掲載され高額で売られていた。

 私も御多分に漏れずせっせと切手を収集していた。収集に熱が入ると、どこからそのような情報が入ってくる
のか不思議なように色んな切手が手に入るようになる。交換に必要な切手が我が家にあったわけではない。今は
思い出せないが何らかの方法で手に入れていたものだと思われる。むろん、わずかなお小遣いで外国の古切手を
まとめて買った事もある。またグリコのおまけで貰ったものもあった。色んな方法をフルに活用して欲しいものを
手に入れていたようだ。子供なりに色んな知恵を働かせて手に入れていたものと思われる。

 しかし切手を収集しながらも私の心は冷めていた。切手だけにのめりこむことが出来なかった。理由は定かでは
ない。古銭の方により興味があったと言うことであろう。古銭には興味のない友達と切手と交換したりしながら
古銭の方も収集品を増やしていた。

 その頃、学校の掲示板に皇朝十二銭という写真入りの記事が掲載されていた。その中に今日のお話の寛平大宝も
掲載されていたのである。日本で最初に製造され発酵されたのは和同開珎という銅貨であった。和同開珎以降
次々に十一種類の銅貨が鋳造された。これらは、もともと製造した枚数が少なかったのか、その後に回収され
鋳つぶされたのか、今では貴重品ともいえるほど残っている数は少ない。

 幼少の頃の日課の一つは父の晩酌用の酒を買いに行くことであった。その当時、八百屋でありながら酒の計り売り
をしている店が家から少し離れたところにあった。ここへお使いに行くのが日課のようになっていた。買ったお酒を
入れて持ち帰る一升瓶と、片手には代金を握りしめて通ったものであった。

 その日も同じような繰り返しの一コマであった。お金を支払い店の人がレジを閉めようとしていた時、通常の硬貨
とは異なるものが一個だけ混じっていた。その硬貨がよもや皇朝十二銭の一つである寛平大宝だとは思いもよらぬ
ことであった。おずおずと、しかしはっきりと、この硬貨を指さして貰えないかと尋ねた。すると以外にも良いよ
持ってお帰りと言ってもらえた。

 顔なじみの子でもあったし、夕時で店も忙しい時であったから気安く出た返事かもしれなかった。意外な言葉に喜び
勇み踊るような心境で家に帰った。そして、その日から私の貴重な収集品の一つになったのである。早速、翌日は学校の
掲示板の写真と貰って帰った硬貨を照らし合わせてみた。それは間違いなく皇朝十二銭の一つである寛平大宝であった。

 この硬貨とは実に不思議な出会いであった。まず学校の掲示板にポスターがどのような経緯で掲示されていたものか
そして、そのポスターに誰も見たことも聞いたこともないような古銭である皇朝十二銭が掲載されていたのか、考えて
みれば実物の一つに出会うための予告の様な出来事であった。そして、そのポスターを見て間もなく本物に出会い
私の手に入ったのであった。

 「願えば通じる」と言う言葉があるけれど、まさしく昨今でいう引き寄せに他ならなかった。先に書いた鉱石類の
収集を通じても感じていたことであるが、自分自身の人生も何かしら不思議な力に導かれて今日があるような気がして
ならない。収集と言う単純なことであるから余計にシンプルに引き寄せなるものが見えるのかもしれない。

 これが人と人との出会いのような引き寄せであれば、その過程には複雑な経緯もあって、一口に出会いと言っても
偶然だと言ってしまえば言えなくもないようなことになり、実に曖昧模糊としてしまうので、そのことが引き寄せとは
思えないことも多いのではないだろうかと思っている。ともあれ偶然と言ってしまえばそれまでのことだが、私は
全ての出来事が引き寄せだと思っている。

 「叩けよさらば開かれん」門戸は叩かなければ何も始まらない。行動を起こし自分の目で確かめてこそ全ての事実が
明らかになる。話は横道に逸れるが昨今の報道は真実とは程遠い。いや、今までも気付かなかっただけのことで
ずっと以前からそうだったのかも知れない。今やマスコミの報道は、作為的な報道を流すことはあっても真実を
報道していないと思われることが少なくない。特に政治に関する報道は意図的とも思えるような報道が多いようだ。
全ての真実は自分の目で確かめてみなければ分からない。

 さて、「花咲か爺さん」の話をして古銭との出会い、引き寄せの話を終わろう。収集熱は止まるところを知らなかった。
考えてみれば私の収集癖は幼児のころに始まっていた。幼児の頃は母から貰ったお菓子などをマッチ箱(当時は大箱と
呼んでいた)の中に溜めていた。まるで冬を乗り切るために夏の間、せっせと餌を集める蟻のように。むろん弟はすぐに
食べてしまい兄のマッチ箱の中のものをねだっていた。しかし、これは幼い私の宝箱であった。

 そして、切手の収集、古銭の収集、鉱石の収集、土器の収集と収集癖は発展していった。土器は神辺周辺に多数
点在していた。元々、備前、備中、備後と言う広域にわたる文化圏にあり神辺には古墳なども多かった。そして当然の
ように土器のかけらも無数に点在していた。しかし私たち子供には大人が発掘した場所など知る由もなく、もっぱら
自分たちの遊び場である高屋川周辺に限られていた。

 ところがこの高屋川、暴れ川と言われるほど過去には何度も大きな氾濫を繰り返していた。そのため上流から夥しい
土器類を押し流し、それらが土の中に埋まっていたのだ。そのような場所の一つを偶然のように発見した。何故、広い
広い河川敷のほんの小さな場所に引き寄せられたのか定かではない。いつの間にか、そこを一生懸命に掘っていた。
来る日も来る日も掘っていた。時間は幾らでもあった。そして、ある日ついに完全無欠な土師器式のツボを掘り当てた
のである。興味がない人には汚らしいただの器にしか見えないだろう。しかし私にとっては貴重な一品でああった。

 ここ掘れワンワン、まさに「花咲か爺さん」の心境であった。それは小判でも大判でもなく、ただの古い器でしか
ないけれど。引き寄せって何だろう。それは私の経験から必ずあると確信を持っている。そして私の収集癖を介して
見えてくるものは、その人の人生は誕生した時から運命づけられているのではないかと言うことである。それは幼少の
頃から垣間見える「癖」の中にある。人生に複雑に見える紆余曲折はあっても流れるべくして流れていると思うのである。
そして引き寄せと言う壮大な力によって人生は様々に変化しているように見える。引き寄せには良い引き寄せもあれば
悪い引き寄せもある。良い引き寄せでなければ輝かしい人生を引き寄せることは出来ない。それには心のあり様を
ほんの少しだけ変えることである。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ