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sheeperの書庫
覗けば漆黒の底(36)
2014年05月15日
テーマ:テーマ無し
覗けば漆黒の底(36)
恭子が使用していた机の中央に置かれた花瓶には、白い花束が生けられている。
その机の前を通りかかった芳村は、自分宛にかかってきた電話を、その恭子が使っていた机のものを取って出た。
芳村に電話をかけてきたのは前田警部補だ。
「二本並行している道路の、裏路地の方の踏切だからな、そっちには監視カメラがない。あの時間だから目撃者もいない。踏切の線路にハイヒールのヒールが挟まっていた状況と、そこに的田恭子がしゃがんでいたという運転士の目撃情報、さらには検視の結果で、かなりの酩酊状態であったことが確認されたことから、すべてを勘案して事故ということで処理だ。一応、報告しておこうと思ってなぁ」
「そうか」
一言の返事にしておいたが、自殺だということになれば、それなりに面倒だろうから、そっちにとっちゃあ都合がよかったな、と、そう言いかけた言葉を呑み込んだ芳村である。
ガチャと切られた電話の音に反応するように、机の上に生けられた花びらがひとひら、ふわりと音が聞こえるように落ち、それを静かに花瓶の前に置いた芳村は、じっと見つめていた机をやさしく撫でた。
こうなってみて、改めて芳村は思う。
たった一度きりの恭子との関係ではあったし、逆にその後は、恭子から疎まれているような節もないではなかったが、そうではあっても、芳村にとっての恭子の存在は、なくてはならぬものであったような気がしている。
何かの話題があって、それを恭子と他愛なく話しているだけでも、芳村の心の隙間が埋められているような気がしていた。
あの梅林園の取材も、恭子と共通の何かがほしくて依頼したと言えなくもないのだ。
五十代にさしかかった年齢において、その先は見えており、そんな芳村の心の隙間を、それこそ他愛なく埋めていたのが恭子かもしれない。
女房には申し訳ないが、恭子という存在があるというだけで、なんとはなしにだが、心が満たされていたのかもしれないのだ。
もっとも、恭子が芳村のことに多少でも本気であれば、一年前に離婚したことを、いの一番に伝えてくれていたに違いないのだが、さりとて、芳村に今の生活を壊す気持ちはさらさらないのだ。
バブル期の大卒者で、期待された新人警察であった前田は、その後は日常業務に追われ、昇進試験は度々見送り、今では五十代にさしかかっての警部補止まりで、これまた先はうんと見えている。
おそらく、前田はいつの頃からか意識もしないで、裏の世界で多治谷然としている偶像を撃ち落とすことを生き甲斐とし、見えている己の、その先を極力見ないようにしているに違いない、と芳村は思った。
先の見えた同士の芳村と前田だが、腐っても俺はジャーナリストだと、芳村は訳のわからない高揚感を抱いていた。
大学時代からジャーナリストを目指し、中央紙には就職できなかったが、今の地方紙に籍を置いた頃に、畜生、地方紙でもジャーナリストはジャーナリストだ、見返してやる、と訳のわからぬ高揚感を抱いた時の感情と似ていた。
その感情は、経済学部出身ということで経済畑に回され、地味な仕事を積み重ねているうちに霧散してしまい、警察廻りを始めた十五年前には、何をいまさらと思ったものだ。
つい最近の一時期、二日酔い気味の恭子に聞けば決まって、昨夜は「はんぱもん」で飲んでいたと言っていた。
あの踏切の先を一キロばかり行けば「はんぱもん」である。
多治谷と「はんぱもん」の磯田との深い関係を、この度のことで知ることができた芳村だ。
磯田に接触すれば、この先の新しい自分を見つけられる一縷となるかもしれない、と芳村は思った。
十二年前の磯田たちの組の解散劇では、地方紙として目いっぱいの取材の中で、解散を決意した磯田たちの味方もし、引き続き当分の間は行った追跡取材の対象者である磯田とは、それこそ十分過ぎる面識があるのだ。
まずは磯田に接触することだ、とこぶしを握っている高揚感は、やはり若いあの頃の高揚感に似ていて、今でもこんな気持ちになれるのだ、と自分で驚いている芳村であった。
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