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人生いろは坂

自然とは 

2014年05月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 明けやらぬ窓の外から聞こえてくるのはホトトギスの「てっぺんカケタカ」と言う鳴き声。やがて夜が明け明るさを増してくると
「ホーホケキョ」と鶯の声。それも一羽だけではなさそうだ。そしてツバメたちの賑やかなさえずり。小さな谷あいの集落だが
周辺は自然がいっぱいである。

 近くにある御大師様の庭には実に巨大なクヌギの木と楠が、そして竹藪が。これらは全て鳥たちの楽園だ。誰はばかることなく
次から次へと来ては去っていく。山鳩も来るしキジも来る。そして時には凄惨な場面に出くわすことも。そう山鳩が何かに
襲われ毛があたり一面散乱している。しかし、これが自然の姿なのだ。

 自然と言えば収穫をほぼ終える頃に一斉に現れるのが夜盗虫。まるで死期の迫った獲物に群がる禿鷹のように日に日にエンドウの
葉をあるいはソラマメの葉を蚕食していく。自然は実に良く出来ていて元気の良いものにはあまり寄ってこない。しかし弱っている
ものや実を付けて役割を終えた終えたものには遠慮はない。みるみる内に食べられてしまう。

 動物達の世界でも同じことが言える。百獣の王ライオンとて狩りの難しい相手より簡単に手に入れられるものの方を選ぶ。逃げ足の
遅い幼い動物や年を取っているもの、そして病気にかかっているものなどである。こうして自然は強いものが生き残れるように淘汰
されていく。しかし人間社会は医療と言う手段や倫理と言うものを手に入れて以来、自然のあり様に逆らっている。それが良いこと
なのか悪いことなのかはここでは論じない。

 さて我がでは、さやえんどうが終わったらアラスカ、アラスカが終わったらとソラマメ。ソラマメは殊の外良く出来た。とても
大きな実になった。今までに経験したことのないほどの出来であった。畑の土が変化しつつあることが実感できる。いよいよ無農薬で
除草も極力しないで栽培してみようと考えている。いわば横着な農業である。

 既にイチゴは数年前からこの方法で栽培している。確かにナメクジとダンゴムシには食べられることも多い。しかし決して全て
食べられてしまうと言うわけではない。人間と虫たちが共に同じものに群がっている感じだ。そして果実の栽培には鳥たちの被害を
避けるためにネットを活用している。ネットをかけるのは面倒な作業ではあるが非常に有効な対策である。鳥だけでなく蛾が卵を
産み付けるのを防ぐことが出来るので従来のようなイラガの被害が少なくなった。

 農薬はもろ刃の剣である。害虫と言われる虫たちを殺す代わりに人間も被害を受ける。究極は無農薬で栽培することだが、なかなか
難しい。しかし出来るだけ使わない方法はある。それは植物を丈夫に育てること。肥料はやりすぎないこと。特に窒素肥料は少なめの
方が良い。窒素過多になると見た目は成長が良いように見えるが弱いものになってしまう。強くたくましく育てようと思えば少しは
過酷な育て方の方が良い。

 全ては自然の摂理にかなったことである。リンゴ栽培の木村秋則さんが気付いたように山は何の肥料も農薬も施さなくても雨さえ
降れば青々と豊かに育っている。自然はあるべき姿にさえなれば人や動物や昆虫などに余るほどの施しを与えてくれる。これが自然
なのだ。その自然を壊し続けているのは自然の恩恵を一番受けているはずの人間だ。人間の持っている強欲なのだ。

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