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平成の虚無僧一路の日記

唯我独尊、自灯明 

2010年04月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



なく、南伝仏教圏では、インド暦の2月15日だそうだ。
また、「お釈迦様は、生まれ落ちるとすぐ北に7歩歩いて、
天を指差し『天上天下唯我独尊』と唱えられた」とか。
これも、釈迦を崇め奉る後世の人の作り話だとか。

さらにその意味について、「お釈迦様独りが尊い」はずが、
宗派によっては「釈迦独りではなく、世の中に生を受けた
すべてのものが、それぞれに尊い命を持っている」と解釈
されている。
「私もあなたも釈迦と同等に尊い命を授かった。だから
他人の命も尊重し、自殺することも、他の命を奪うことも
してはいけない」などと説く仏教者も多い。瀬戸内寂聴も
法話でそう述べている。

ついでに、釈迦の最期の言葉「自灯明」も「釈迦亡き後は、
私自身を灯明として生きよ」だが、「自分」の解釈で、
「自分=釈迦」を頼りとせよというのと、「自分自身=
あなた自身」では意味合いが大きく異なる。後者だと
「釈迦も仏も無い、自分自身が尊いのだから、好き勝手に
生きればいい」となる。

釈迦は一文字も残さなかった。現存する経典はすべて、
後世の者が勝手に作ったものだ。さらに日本では、解釈の
違いでいくつもの宗派が派生し、お互い反目し争っている。

こんな愚かなことはない。ならば釈迦の原点に戻ろうと
いうのが私の考えだ。釈迦は家も寺も持たず、人々の心に
灯明をともし続けた。無論、崇拝する像も、説くべき経典
も無かったのだ。寺も教団も無い。

虚無僧は臨済の相棒「普化」を祖とする「普化宗」だが、
経典も祀るべき釈迦像も無い。しかしそれって、まさに
「唯我独尊」「自灯明」の生き方か。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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