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北軽井沢 虹の街 爽やかな風

北軽井沢マラソン物語―1 

2014年06月24日 外部ブログ記事
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北軽井沢マラソンは昭和60年、250人の参加で始まった。その後徐々に参加者が増え、平成21年に行われた26回大会では、参加者3879人を数えている。以来、口蹄疫の問題で4年間中止されていたが今年5年ぶりに復活し、1112人の参加者が集まった。
 
私は、なぜか「浅間高原の風になろう」というパンフレットの呼びかけにあっけなく反応し、単純にすぐ「走ろう!」と思った。そうしたら、なんと横浜に暮らす娘夫婦が「私たちも走る」という。思わず頬をつねりたくなるほどの驚きだったが、マラソン大会に出るということが思わぬ展開となった。人生はこれだから面白い、そして楽しいのだ。
 
しかし、大会前日の午後から天気は予報通り雨となった。しかも、一時はバケツをひっくり返したようなという表現を上回るほどの強い雨だった。娘夫婦との楽しい食事に例の赤い飲み物の効き目もあっていつものようにあっという間に健やかな眠りの中へ突入し、雨の音も遠ざかって行った。しかし午前3時ごろ目が覚め、トイレへ行った後に眼が冴えて眠れない。寝不足はまずいぞ、と思いながら必死に眠ろうとしたが興奮した頭が眠りを寄せ付けないという、私の小学生のころからの悪い癖が出てしまった。遠足の前とか運動会の前夜などなかなか眠れないのだ。私はもう一度トイレに行き、難しくて中断していたキケローの「老人について」を読み始めた。いつもなら2ページくらい読んでいるうちに眠りがやってくるが、その日に限ってすらすらと理解でき、眠りはこない。しかし、まいったな、と思いながら雨音に耳を傾けているうちにいつの間にか眠ったようだ。
 
8時の開会式に出るつもりでいたので、6時半頃には起きるつもりだったが、妻に起こされたのは7時だった。降りしきる雨に開会式はパスすることにした。前日受付を済ませていたのは正解だった。9時少し前に着くように車を走らせていると、携帯が鳴る。応援団の嬬恋の妹M子とOさんが姿を現さない私にしびれを切らせて電話してきた。会場グランドのすぐ近くにある行きつけの「アンザイ理髪店」に駐車をお願いして歩いていると、9時にハーフマラソンがスタートすると交通規制で給水ポイントへ帰れなくなるという二人にせかされて記念撮影。会場へ着くとYさん、Bさん夫妻が待ち構えていて記念撮影。
おかげで緊張する暇はない。予定通り9時15分長野原町長のスタートの号砲が鳴った。
 
私たち3人は並ぶようにグランドを後にしたが、その後、婿殿はすぐにスピードをあげて姿が見えなくなった。娘と並走しながら1kmの表示を通過した。幸いに雨は小雨になり、ほとんど走る邪魔にはならなかった。しばらく行くと、同僚のHさん夫妻がカメラを構えて待ち構えていた。私は両手をあげて声援に応える。足取りも軽く余裕があった。娘は、スマホを腕につけてラップを報告する。2kmの給水所で紙コップを受け取り一口飲んだ水はやはりありがたかった。ここは、同僚Y嬢の自宅前、まさかの気付け薬を期待していたわけではないが、お父さんの姿を探したけれど見当たらなかった。コースは栗平のアサイマートを左折して県道54号と別れを告げ、閑静な町道へはいる。
3kmまで7分台、6分台後半の順調な走りは娘の報告で分かる。心配していた娘には余裕がある。どうやら、私の娘に対する心配は取り越し苦労のようだった。そして、悪天候にもかかわらず意外と私の足取りも軽かった。しかし、前方を走る名も知らぬランナーの姿は、お世辞にもかっこいいとは言えないが、それを追い越す力は私にはなかった。
いよいよM子とOさんの待つ2か所目の給水ポイントが近づいている。
 

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