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平成の虚無僧一路の日記

「普化宗」なんて無かった 

2014年07月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「海童道祖(わだづみどうどうそ)」が「普化宗管長」を称していた
というが、「普化宗」というのは、かつて存在していなかった。
そのような寺も無い。だから勝手に唱えていたのである。

しかし「海童道」は「普化宗管長」ということで、政財界からも
一目おかれ、丁重な扱いを受けていたようである。
名古屋や大阪に出張した折は、それぞれの警察署長が
公用車で駅まで出迎えている。なぜそこまでVIP扱い
されるようになったのかも謎である。稀代の「詐欺師」?だったのか。
皇宮や警視庁との特別なルートがあったのだろうか。
とにかく、世界中の尺八家から 愛されているから不思議。
もちろん 私も心酔している。

・中国には普化宗は存在しなかった。
・普化宗を日本に伝えたという法灯国師覚心は普化を知らなかった。
・江戸時代でも、虚無僧寺本寺の一月寺、鈴法寺は普化宗と名乗らなかった。

・京都明暗寺が、江戸の一月寺・鈴法寺と対抗するために「法燈国師
 覚心」を担ぎだして「普化禅師」と結びつけ「普化宗」なるものを
 創作したと考えられる。

・江戸幕府は当初、虚無僧を浪人対策として黙認していたが、横暴ぷりが
 目にあまるようになると、取締まりを強化するようになった。

・明治政府は、法令で普化宗を廃止し、尺八を吹いて門付けすることを
 禁じた。虚無僧最後の人といわれる谷狂竹は3回も逮捕されている。

・京都東福寺の塔頭善慧院内に寄宿するカタチで『宗教法人 普化正宗
 明暗寺』として登記されたのは、戦後の昭和25年であった。


というわけで、普化宗が正式に国家、また宗教界に公認されたのは、
戦後のことなのである。

現在、東福寺の善慧院の門に、『明暗寺』の看板は掲げてあるが、
そこに普化宗の住職や虚無僧が常駐しているわけではない。

東福寺も善慧院も臨済宗の寺であり、ご住職も臨済宗の僧侶である。
ご住職のご理解と好意で、全国200名ほどの虚無僧尺八愛好家の
ために、『明暗教会会員証』と『行化証』を発行していただいている。
しかし、この説明書には「托鉢を認めるものではない」と注意書が
してある。乞食行は 実は「軽犯罪法」に違反するから、「現行法」上は
禁止なのである。それで、なんぞのために、逃げ口上を用意してある。

私としては不本意であるが、虚無僧で周っていると、警察官が
「許可証あるか」などと聞いてくるので、そうしたカタチに頼る人の
ために、一応『宗教法人普化正宗明暗寺』発行の『明暗教会会員証』と
『行化証』を携行している。

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