メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

7/12 虚無僧の旅 京都 黒谷へ 

2014年07月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「家近慧雲」氏に招かれて、京都へ。

朝6時に名古屋を立ち、東名阪道、亀山から
「第二名神」を通って京都へ。130km、
道路は空いていて、8時には 「京都東」に
着いた。山科から三条へ抜け、北へ上れば
「金戒光明寺」。そこの山上部に「会津藩墓地」が
ある。先祖の「牧原宗仲」が眠っており、
京都に行った時は 必ずお参りする。

「今年も来ましたよ〜」と声をかけ、尺八を
とりだして『手向』を。しかし、涙が出て、
音にならない。どうしても泣けてしまう。

とぎれとぎれに吹いていると、若い女性が。
涙を隠しながら吹く。こういう『手向』が
ホンモノの『手向』だと、自分自身で思う。

墓地を整備して永代供養をお願いした時の
奉賛者の銘板に、叔父の「牧原源一郎」
父「牧原五郎」、従姉の夫「高瀬喜左衛門」の
名前を見つける。

それより驚いたのは、お参りに来た方が、
書き残していくノートをめくったら、
6月20日に、私の妹の名が。まだ20日ほど
前のことだ。
「京都に行く」なんて聞いていなかった。
去年も会津に行った時、一日違いで、妹が
来ていった。やはり、会津の血がここへ
足を向けさせるのか。

「家近」氏のお宅へは 午後1時の約束なので、
大徳寺のあたりを虚無僧で廻ってみた。観光客の
姿もまばらで、反応ゼロ。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ