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Jii−Jiiの日記

拝まない者も おがまれている 拝まない時も おがまれている 

2014年08月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



拝まない者も おがまれている 拝まない時も おがまれている

(解説 グーグル検索)

東井先生が教員生活をはじめられた頃、「仏もくそもあるものか」と思われた時期があったそうです。
そんな時でも、阿弥陀仏が、拝まれて、願いをかけていただいたからこそ、念仏への道が開かれたと東井先生は感じておられます。

子どもが親のねがいの中に生きているように、私たちも親、家族から願われ、阿弥陀仏から願いをかけられています。
願われて、拝まれて生きている身であると思うと、よろこびの心もわいてきますし、願いに応えたいという気持ちも出てきます。

その一方で、私が拝まないときも、仏は、根気よく、あきらめることなく、私に願いをかけ、拝み続けていただいたから、多少なりとも、教えを聞かせていただけるようになったとも思われます。


ボクは、現役時代は現象面をとらえて、一喜一憂して、物質により補足しようと考えていましたが、仕事・働くことから離れて生活している今は、まず困難な現象を冷静に観察しながら、「南無阿弥陀仏」と心で呟く様に唱えるようにしています。

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