メニュー
最新の記事
テーマ
カレンダー
月別
- 2023年08 月( 1 )
- 2023年07 月( 2 )
- 2023年06 月( 8 )
- 2023年05 月( 4 )
- 2019年07 月( 1 )
- 2019年04 月( 1 )
- 2019年01 月( 1 )
- 2018年12 月( 1 )
- 2018年11 月( 1 )
- 2018年08 月( 2 )
- 2018年07 月( 2 )
- 2018年06 月( 4 )
- 2018年05 月( 1 )
- 2018年04 月( 5 )
- 2018年02 月( 3 )
- 2018年01 月( 2 )
- 2017年11 月( 2 )
- 2017年10 月( 2 )
- 2017年09 月( 2 )
- 2017年08 月( 1 )
- 2017年07 月( 1 )
- 2017年06 月( 3 )
- 2017年05 月( 3 )
- 2017年04 月( 1 )
- 2017年03 月( 1 )
- 2017年02 月( 3 )
- 2017年01 月( 1 )
- 2016年12 月( 1 )
- 2016年11 月( 1 )
- 2016年10 月( 2 )
- 2016年09 月( 4 )
- 2016年08 月( 2 )
- 2016年07 月( 2 )
- 2016年06 月( 5 )
- 2016年05 月( 7 )
- 2016年04 月( 3 )
- 2016年03 月( 1 )
- 2016年02 月( 2 )
- 2016年01 月( 5 )
- 2015年12 月( 3 )
- 2015年11 月( 1 )
- 2015年10 月( 7 )
- 2015年09 月( 4 )
- 2015年08 月( 6 )
- 2015年07 月( 1 )
- 2015年06 月( 3 )
- 2015年05 月( 3 )
- 2015年04 月( 6 )
- 2015年03 月( 4 )
- 2015年02 月( 4 )
- 2015年01 月( 5 )
- 2014年12 月( 5 )
- 2014年11 月( 4 )
- 2014年10 月( 6 )
- 2014年09 月( 8 )
- 2014年08 月( 7 )
- 2014年07 月( 6 )
- 2014年06 月( 6 )
- 2014年05 月( 5 )
- 2014年04 月( 7 )
- 2014年03 月( 5 )
- 2014年02 月( 5 )
- 2014年01 月( 8 )
- 2013年12 月( 6 )
- 2013年11 月( 5 )
- 2013年10 月( 4 )
- 2013年09 月( 9 )
- 2013年08 月( 7 )
- 2013年07 月( 6 )
- 2013年06 月( 6 )
- 2013年05 月( 7 )
- 2013年04 月( 2 )
- 2013年03 月( 6 )
- 2013年02 月( 3 )
- 2013年01 月( 8 )
- 2012年12 月( 6 )
- 2012年11 月( 14 )
- 2012年10 月( 12 )
- 2012年09 月( 9 )
- 2012年08 月( 11 )
- 2012年07 月( 7 )
- 2012年06 月( 11 )
- 2012年05 月( 17 )
- 2012年04 月( 25 )
- 2012年03 月( 21 )
- 2012年02 月( 19 )
- 2012年01 月( 22 )
- 2011年12 月( 18 )
- 2011年11 月( 19 )
- 2011年10 月( 21 )
- 2011年09 月( 23 )
- 2011年08 月( 25 )
- 2011年07 月( 24 )
- 2011年06 月( 24 )
- 2011年05 月( 25 )
- 2011年04 月( 21 )
- 2011年03 月( 22 )
- 2011年02 月( 16 )
- 2011年01 月( 21 )
- 2010年12 月( 23 )
- 2010年11 月( 27 )
- 2010年10 月( 25 )
- 2010年09 月( 27 )
- 2010年08 月( 21 )
- 2010年07 月( 30 )
- 2010年06 月( 30 )
- 2010年05 月( 1 )
きよしのつぶやき
墓守
2014年08月18日
テーマ:テーマ無し
母が亡くなってもう24年になる。そのとき父は死後40年を経過し、墓は遠く郷里にあった。父と母を同じ墓に入れて身近に供養したい。その思いから、母の死後、姉と兄と私の兄弟3人で相談した結果、宮島を望む墓苑に新たに墓地を設けることにした。 母は旅立ちの身支度として、白装束、瀬戸内寂聴さんの本とかを梱りにしまっていたが、その片隅にお金も残していた。ときどき家政婦会の斡旋で下働きをしては貯めたであろうが、割と
>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)
この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません