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平成の虚無僧一路の日記

「井上丘隈」について 

2014年11月21日 外部ブログ記事
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?11/13 コメント蘭に T様から寄せられた質問
 戊辰戦争に興味を持っているものです。日本テレビの『白虎隊』で、
 井上丘隅が、娘の神保雪子を嫁ぎ先の神保家に行くように伝えるなど
 かなり具体的な話が出てきますが、これはどこから出てきた話なのでしょうか?
 
日本テレビの『白虎隊』は、森繁久弥が「井上丘隅」を演じ、涙涙でしたね。
森繁の演技力、存在力は圧巻でした。
このドラマを見るまで、私も「井上丘隅」については知りませんでした。
城下の絵地図を見ると、井上家は、わが先祖「牧原一郎」の隣人でした。
ドラマでは、甲賀口で幼少年を連れて戦い、その後も生き残り、戦後、
斗南(下北)へ移住するところで終わりました。
「井上丘隅」の娘が、神保修理の妻ということも、ドラマを見て知りました。
 
私が「知らなかった」というのは、会津戦争の一等史料ともいうべき、下記
著書には 載っていないからです。
1 明治37年 北原雅長 『七年史』
2 大正 6年 平石弁蔵 『会津戊辰戦争・白虎隊・娘子軍・高齢者之健闘』
2 昭和 3年 池内儀八 『会津史』 上下
3 昭和 8年 会津戊辰戦史編纂会 『会津戊辰戦史』
上記いずれの本にも、「牧原一郎が甲賀口郭門横の自邸で自決した話」や、
甲賀口の門番「佐藤與左衛門(74歳)とその孫 勝之助」の応戦戦死」の話は
載っていますが、「井上丘隅」についてはありません。
平石弁蔵 『会津戊辰戦争・白虎隊・娘子軍・高齢者之健闘』の306ページに
23日の戦死者34名が列記されており、その中に「井上八十郎(二百石)」と
あります。「井上八十郎」は「丘隅」の息子でしようか。他の史料では「朱雀士中
三番 原田隊。若松下町西堀端で戦死。享年28歳」となっています。
 
さて私の蔵書の中で、昭和52年発行の小冊子『会津墓殉難婦人名鑑』に
下記の記述がありました。
 
「井上丘隅は、8月23日、甲賀町口郭門に 衆を励まして防戦したが利あらず。
郭門の傍らの自邸に入ると、妻 トメ子(52歳)、長女 チカ子(31歳)、三女
雪子(神保修理の妻)が自刃の用意をしていた。丘隅は雪子を神保家に帰らせ、
妻と長女を介錯して自刃した。この時、白木又エ衛の長女 サダ子(45歳)も
この家にいたので自刃した」(「七年史」)
 
出典は『七年史』となっていますが、その『七年史』には書かれていません。
念のため、Wikipediaで調べましたら、判りました。出典は
 
『会津会会報第11号』「会津藩殉節婦人の事蹟」です。これは東京在住の
会津出身者の会で、毎年発行されているもので、「1917(大正6)年」刊です。
当事、まだ生存者からの口述を筆記したものと思われます。
 
今では入手不能と思われますが会津の図書館にはあるでしょう。
『白虎隊』の作家がそこまで調べていたとは驚きです。
 
 

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