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人生いろは坂

地球一周の旅から10年(16) ブラジル連邦共和国 

2014年12月01日 外部ブログ記事
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 リオデジャネイロのシンボル的なものと言えば港からも小さく見えていたコルコバードの丘に聳え立つキリスト像だろう。
コルコバードの丘と言っても、実は標高700メートル余はあるから丘と言うより山であろう。この山へ登るには麓から
発着している登山鉄道に乗る。山頂まで一気に登ることの出来る、この鉄道はかなり急坂である。

 山頂へ向かう鉄道の周辺は木々が生い茂るジャングルであり、私達異国の観光客にとって珍しい植物も少なくない。
太い幹から直接ラグビーボールのような実が付いている。何と言う植物だろう。鉄道のすぐ脇にはインパチョイスの
原種かと思われる植物が咲いていた。

 山頂近くになると急に視界が開け、眼下には海や町並みが見え始める。西洋に見られるような赤い屋根をした家並みが
見える。眼下に広がる湖のようなものは何と言うのだろう。ヨットがたくさん停泊している。そしてお椀のように見える
湖の向こうは大西洋だ。非常に美しい。この景色はこの先に訪れたシュガーローフマウンテンでも見ることが出来たのだが。

 山頂に聳え立つ巨大なキリスト像は白く輝き、両手を左右に大きく広げ独特のポーズをしている。1931年に
ブラジルの独立を記念して建てられたと言うから古い。700メートル余の山頂にどのようにして建てたのであろうか。
信仰の成せる技かも知れない。今日的な重機もない時代に多くの困難を克服しながら建てたとすれば強い信仰心が
なければ成しえなかったことであろう。

 私たちが訪れた日も多くの観光客が来ていた。観光客はキリスト像を背景にして様々なポーズで写真を写していた。
そして、ひと時を山頂で過ごし降りていくのだが、下山の時には長い行列が出来ていて何便かの登山鉄道を待たなければ
ならないほど大勢のの人であった。

 次に訪れたのはシュガーローフマウンテン、日本語に訳せば「砂糖パン」と言うことになるらしいのだが、リオ市内には
奇妙な形をした幾つかの似通った岩山が点在している。この山もその一つだが「砂糖パン」の山と言われるように小高く丸い
お椀を伏せたような岩山が二つ並んでいた。

 この山の特徴は、その形だけではなく一木一草もない岩の塊であった。巨岩がどんと地上に乗っているような感じで
あった。巨岩とは言いながら、とてつもなく大きな塊である。それだけに異様に見えるのかも知れない。この山へは
ケーブルーカーを乗り継ぎで登ることが出来る。

 最終地点の山の頂は広場になっていて、土産物屋もあるような広さである。この土産物店には色んな色をした美しい石が
様々に形に加工され売られていた。鉱石が好きな私としては買いたいものばかりであったが、我慢して一個だけ記念に買った。

 広大な国土を要するブラジルは広大な国家と言うだけでなく各地で様々な鉱物資源を産する。そのような場所へ行けば
それこそ宝石にもなるようなものが無造作に転がっていると聞いている。ただ、それを日本などへ持ち帰ろうとすると
莫大な費用がかかる。

 アフリカのケニアで見た赤い土の色とリオデジャネイロで見た土の色は良く似ていて、この二つの大地はかつては続いて
いたことを証明している。そして、両大陸は今も豊富な鉱物資源を有している。

 シュガーローフマウンテン近くのレストランが昼食の場所であった。実は上陸前に聞き取り調査があった。上陸して
食べたいものは何かと言う調査であった。多くの人は船上の洋食に飽きていたので魚料理を選んだ。私達は悩んだ末
あえてこの国でしか食べられないものをと言うことで肉料理コースを選んだ。

 肉料理コースを選んだことが、実は正解だったことは帰ってきた人達の話を聞いて判明した。魚料理は私達日本人が
なじんできた魚とはおおよそ異なったものであったようだ。魚の種類も違えば調理方法も異なっていた。憧れだけで
魚コースを選んだ団体にとって実にがっかりさせられるような事だったようである。

 私たちが入ったレストランはバイキング風にセッティングされ、お皿を持って並んだ料理を取りに行く。そして席に
着いて待っているとウエイターが大きな金串にさした焼肉の塊を持ってくる。それを大きなナイフでOKと合図するまで
切り落としていく。実に豪快な焼肉料理である。

 レストランの中央にセッティングされた豪華料理でさえ満足できるほどのものでありながら、様々な種類の焼肉が
出てくるのである。日本人の小さな胃袋はたちまち満たされて満腹になってしまった。それでも新鮮な肉には飢えて
いたと見え、食べた量も半端ではなかった。こうして満ち足りた胃袋で次の観光地へと向かった。

 次の観光地はコカパバーナであった。イパネマの娘など色んな映画で紹介され有名になった海岸である。長い海岸
沿いには高級リゾートらしいホテルが立ち並び、この日の海岸も賑わっていた。身の安全を気遣うガイド役のスタッフの
言葉もあって長居は出来なかった。いつどこで犯罪に巻き込まれるか分からない危険が潜んでいた。特に日本人のような
無防備は観光客が狙われやすかった。

 波の大きな海の中で泳いでいる人は皆無に近かった。多くは湾曲した長い長い海岸の砂浜で遊びに興じていた。この国
では海は泳いだり水浴びをする場所ではなく、砂浜で遊んだり日光浴をする場所であった。

 こうしてリオデジャネイロ観光の一日は終わった。日本では見たこともないような幅広い道路、へばりつくように建ち
並んだ貧しい人達が住む住宅街、この国の人達を熱狂させる大きなサッカー場、そして有名なリオのカーニバル会場など
観光バスの中から眺めて帰路に着いた。この国の全てを見たわけではなかったが、その一部だけを垣間見た一日であった。

 貧富の差とそれによる暗い部分、それが南国特有の明るい光と対照的に実にアンバランスに見えた。犯罪が多いとは
言え、この国の持つ魅力は人を惹きつける何かがある。

 私達はここから南下して次の寄港地、アルゼンチンに向かう。ここで船の上で親しくなった友人Sさんとと別れた。
彼は沖縄県の人で多くの親族がこちらへ移り住んでいるとのことであった。親族を訪ねての旅であった。また、私同様
鉱物好きな彼は化石を採掘したいと言う夢を持っていた。その話はずっと後に再開することになった時の話として
残しておこう。

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